2010年7月31日土曜日

フランス人に教えてもらったオムレツのワンポイントアドバイス

フランス人に教えてもらったオムレツのワンポイントアドバイス

ある安宿のキッチンで昼ごはんを作っていると、昨夜の酒でちょっと仲良くなったフランス人が「何作ってるんだ?」と訪ねてきた。
「オムレツだよ」と答えると、そのフランス人はオムレツを美味しくするためのワンポイントアドバイスをしてくれた。

とても簡単。玉子をかき混ぜるときに、彼曰く「ほんのちょっとのビールを入れてみろ」という。そうするとオムレツがふんわり柔らかく出来上がるのだという。その日はビールが珍しくなかったので後日やってみた。

すると確かにその日作ったオムレツに比べてふわふわのオムレツが出来上がった。ちょっとビールを入れすぎて固まりにくかったが。

たぶん玉子4個に対して10ccくらいでちょうど良いのではないだろうか。

うまいオムレツを作るからと言って350ccのビールを買ってきて10cc使ったら残りのビールは飲んでいいことになる。ビールを呑む言い訳に使える、ありがいレシピだ。

西洋人の行動・・・奇行?

西洋人の行動・・・奇行?

日本人は普段の生活の中で、家に帰ると履物を脱いで
裸足や室内履きに履き替えて生活するのが常で、
西洋人は、外から帰ってきても靴を履いたまま生活するのが常識と思っていたが、その常識が今回の旅で覆った。

僕らはホテルなどというハイソな旅行ができないため、どこに行ってもドミトリーという相部屋で全く知らない外国人旅行者達と生活を共にするのだが、彼らの生活ぶりにはしばしば驚かざるを得ない。

例えば、先程の履物の件だが、彼ら外国人(主に西洋人)はドミトリーの建物内では、ほとんど全てと言ってよいくらいの人が裸足で生活している。
しかも部屋だけでなく、廊下も台所もそしてトイレもだ。
その感覚にはとても同感できない。

僕は海外に行くときは常にビーチサンダルを持参するので、室内はずっとビーチサンダルを履いている。さすがに裸足にはなれない。もちろんトイレで裸足なんて考えられない。しかも若い女性でもその奇行ぶりは同じなのだ。

それと彼らは調理の際に、まな板というものを使う習慣があまりないようで、普通に食材をテーブルや台所の台、机の上で普通に切る。
僕がさっきまでノートパソコンを開いていたデスクの上で、彼らはダイレクトに紙なども敷かずにサラミやチーズを置き、ナイフで切り刻んでいるのだ。
もちろん使い終わった後は、拭きとるだけなので、脂分が付着したままだ。
食品にも衛生的じゃないし、使用後のデスクの使い道にも困ることなのだが、彼らはそういうことは気にしないのだろう。
日本人はとかく衛生に気を使いすぎだとは思う。菌やハウスダストなどの見えない敵と常に戦い、お金を注ぎ込み、自ら免疫力を下げ自己治癒力を減らしているようにも見えなくもない。
果たして西洋人がたくましいのか?日本人がきれい好きなのか?

2010年7月23日金曜日

宿の選び方

旅に出てから1ヶ月半。
旅がすっかり生活になると、寝床の選び方も慣れてくる。

慣れてくると言っても、ここはハイシーズンのヨーロッパ。
当日宿に駆け込んで「空きありますか?」といったって
空いてるわけはなく、足元を見られて高くつくのがおちだ。

最初の北欧辺りは既に日本を発つ前に予約をしていた。
がドイツからはすべて現地予約となった。
3泊から4泊ごとに寝床を変えていくので、宿と移動の予約は必然的に
忙しないものになる。

英会話ができない僕たちにとって、ありがたい武器はインターネットだ。
宿の予約は次の行き先が決まり、切符を手に入れると、全てこれで済ませる。

ってことは、宿を決める際に必要不可欠なのはインターネットを使えるということだ。
さらに言うとWiFiが使えて、部屋でも使えるというのが一番いい。
しかし、何度かあるのだが、宿に到着していざ使おうとすると使えない。
宿に聞くと「今日は使えない。壊れている。」と結局最終日まで使えず
野良電波を探しに電車で中央駅まで行ったり。

次に不可欠なのは、やはり自炊ができるゲストキッチン装備!
これができると出来ないのでは、その都市生活における予算が大幅に変わってしまう。
特に物価の高い都市においては。
ただこれも、着いてみないとわからない。キッチンはあるけどコンロがなかったり・・・。

それと現在のところリュックを前後に背負った上にショルダーバッグを肩からかけ
僕はさらにカートを引きずるという大旅行劇団一座状態なので
駅から近いというのが、ストレスと筋肉痛を軽減してくれる。
地図で場所をちゃんと確認はするのだが、これも着いてみると
上り坂だったり、石畳だったりと泣かされるはめになることも。

泊まるのはプライベートルームではなくドミトリーと言われる
相部屋なのだが、なるべくその施設が大きい方がいい。
小さいところだと、元々住居だったと思われる建物だったりして
排水が悪かったり、人数に対してシャワーやトイレやキッチンの数が
足りないなんてことになりやすい。
大型の施設だと共用部分も多いので、一人当たりの割り当てが多くなる。

最後にこんなことを気にしながら、一番気にするのは金額である。
今のところ最高額はノルウェーの1泊2500円/ベッド。
最低がクラクフの750円/ベッド。
とにかくユーロにいるときは、1泊は10ユーロで抑えたいのである。

中近東やアジアに入るとぐぐっと値段は下がるはずである。
もちろん、グレードもドドっと下がるはずであるが。



ベルリンでの外食

ベルリンでも節約のため外食を控え自炊をしたため
あまり外食の記憶が薄い。

ベルリン到着の際に駅構内でいただいた、魚の塩漬けみたいなマリネみたいな。
美味しかったです。

とにかくお腹がすいてて、入ってしまったアジアングルメ。
教えてもらったカリーブルスト。教えてもらったお店にはいけませんでしたが、名物料理のようです。
店によって違うみたいですが、ウィンナーを焼いたり揚げたものにケチャップとカレーパウダーをかけていただきます。
これまた駅構内のお店でスパイシーでレモングラスの香りがするパスタ。うまかった。


北欧企業って

最近北欧って日本からだけでなく世界中から注目されてる。

もちろん福祉教育関係やエコ関係にしても北欧デザインや北欧企業についても。

北欧企業やブランドを思い浮かべてみた。
カールスバーグ
IKEA
レゴ
ボルボ
エリクソン
ノキア
ロイヤルコペンハーゲン
H&M
イッタラ
ムーミン
アンデルセン

ちょうどベルリンについてからバウハウスに行ってきたのだが
その案内の中にバウハウスの考え方の説明を聞くことができた。
「デザイン性が優れた製品かつ使いやすい製品かつ安価で大量生産できる製品」を
目指すと。

上の企業やブランドなどが全てそうだとは言わないけど、北欧企業などの製品って
バウハウス考えと合致する部分があるなぁと、一人納得。



コペンハーゲンでの外食

すでに記憶にない。
北欧はどこも似通っているので、記憶しておくのが僕の頭脳では困難だ。

ひとつだけ覚えているのがある。
それは、インド人が野外でお祭りをしていたのだが、その時いわゆる振る舞いメシである
FREE FOODだ。
意外とこれがロハのわりに美味だったわけで。ちょっと辛かったけど。

コペンハーゲン回想録

フィンランド、スウェーデン、ノルウェーときて北欧最後の国、デンマーク

はコペンハーゲンにやってきた。
もちろん移動最安値の夜行バスという手段を使って。
迎えてくれたのは、海にそびえる大きな風力発電施設のプロペラの群だった。

この街もご多分にもれず、フィンランドやスウェーデンのような先進的かつ伝統を重んじる匂いを感じた。

やはり景色も北欧のパリと言われるほどに美しい。
自転車の利用に関しては他の北欧諸国よりも活発さを感じた。自転車専用レ
ーンだけでなく、電車には自転車乗り込み車両があるなど。
金曜日についたのがよくなかったのか
週末はメインストリートの店舗がほとんど閉まっていて
そこを歩く際は文字通りウィンドーショッピングとあいなってしまった。

相変わらず物価は高いのだが、ありがたい事に100円ショップのような小さな店舗ながらディスカウントショップがあったので、食材以外の初めての買い物をしてしまった。
それは150円ほどのビーチサンダルであった。

ちょうどコペンハーゲンに滞在していた頃は、ジャズウィークだったようで、
至る所でジャズのライブを行ない、観光客がビール片手に楽しんでいた。
ちなみに有名なカールスバーグはデンマークのビール会社なので、物価高の
北欧にあって手頃にビールが楽しめた。
コペンハーゲンの次はベルリンに列車で向かったのだが、ちょっとしたサプライズがあった。
走っている列車が途中トンネルのような中に入って、ゆっくりとなりやがて停車した。
すると車掌が「降りろ 降りろ」と全員を誘導した。
そして階段を上がるとそこは海の上だった。
列車は大型フェリーの中に停車したのだった。
とても大胆な発想だこと。

フェリー内にある免税店でウォッカ1リットル2000円と3リットルのワイン900円を買い込み
いざ、ドイツへ。
海を渡ればいよいよドイツである。

オスロでの外食

オスロでの外食

相変わらず、物価高な北欧なので外食も自粛中だったので
お店できるものはない。
写真は自粛中うえ、バスでオスロに到着した朝に
バスの待合所でトナカイのサラミを切ってモーニングとしている風景である。
一度だけカフェでビュッフェスタイルでいただいたのだが
写真を撮れる雰囲気ではなかったのでそれすらない。

オスロもご多分にもれず、北欧なので食べるものはどうやら他3国と一緒で
魚とポテトが多いようであった。

写真は、節約のために行ったIKEAでのランチであるが
行ったら全然これが安くなくてがっかりしながら帰ってきたのである。
ストックホルムではメチャメチャ安かったので味をしめて行ったのだが。



ノルウェーはオスロの回想録

北欧と言えばフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマークの4カ国があたるらしい。

今までフィンランドのヘルシンキとスウェーデンのストックホルムを見てきた限り、伝統を残しつつ先進的な
気風が溢れる、清潔な都会を感じ北欧のイメージにピッタリだと得心していた。
が、ノルウェーのオスロも同じであろうという期待はすぐに崩れた。
北欧に入ってから見たことのなかった物乞いがいたり、街の角々には
臭気が漂っている。
北欧のどこでも見られた落書きは一際激しい。
実は僕はそんなオスロにホッとした。
確かにヘルシンキもストックホルムも滞在しやすかったし
とても便利だし気持よかった。

でも、なんだか作られた、汚いものを無理やりどこかに押しこんで隠した
そんな感じを拭えず、オスロに来たときには、やっと人間の匂いというか
温度が感じられた。

以前、乞食の街と揶揄されたオスロ。
福祉が進んでいる北欧のイメージとはかけ離れ
王宮前のベンチに座っていると物乞いが紙コップを持って
回ってくる。
その格差の背景には物価高があるのではないかと
単純に考えてしまう。
何しろ物価高の日本から来た僕でも昼ごはんに窮してしまったりするのだから。
物価高に恐れ慄き、外資ファーストフードのバーガーキングに
助けを求めるがごとく、一番安そうなチーズバーガー(ダブルではない)を二人で2セット買ったのだが
やはり1300円した。

浮浪者が多いためか、オスロ駅にはトイレが見当たらなかった。
北欧だけでなくヨーロッパは大概トイレは有料。
その有料トイレすら見つけることができなかったのだ。

そんなオスロもとてもバリアフリーだったりする。
駅もデパートも美術館も。
30キロ近いカートを轢く僕にとってはとても有難い。
それとオスロ駅には自動両替機があるのである。
これはびっくりである。ドルでもユーロでも
ノルウェークローネに変えてくれるのである。
日本も観光に力を入れるなら、これくらいのことは
して欲しいものである。

オスロからはコペンハーゲンへバスで。
バルト海からもスカンジナビアともお別れである。



ストクホルムでの外食

ストクホルムでの外食

貧乏旅行で物価高の北欧は極めて厳しく
外食をするのは憚り、ほとんどしてない。

食費を減らすための100円マックの類と
わざわざ行ったIKEAのランチである。
そして最終日前にだけ、我らにはいささか豪華なディナーをいただいた。
北欧はやはり魚の産地なのでサーモンである。
生もあるようだが、少しスモークしてあるのが美味。
そして野菜タップリのリゾットと必ずついてくるポテト。
北欧にいる間は、このような食事が続きそうだ。


2010年7月20日火曜日

寿司喰いね



北欧からドイツやポーランドを廻ってきたが、街中には「SUSHI BAR」やらを見ることが多々ある。
その他にも寿司を店の看板にしていたり、回転寿司(ランニング スシ ビュッフェというらしい)もあったりする。
そして、結構値段は高いのだ。
寿司が日本の料理だなんて思ってたら大間違いだ。

例えばその寿司をおく店は中華料理店だったりして、最近流行りの寿司も一緒に売ってしまえとばかりに、「SUSHI」と表記しているのだ。
また、タイ料理店でも「SUSHI」を売ってたりする。
もちろんそこにいるのは、中国人だったりタイ人だったりするわけだ。
そんな「SUSHI」を標榜している店先からはモンモンとタイ米の匂いが香ばしく漂ってくるのだ。
寿司と餃子とご飯というへんてこなプレートもある。
もはや日本人が知る寿司ではない。SUSHIなのだ。
実際には食べていないのでわからないが(お金を払って食べたくない)、どうやらサーモンの握りなどが多いようで、店によっては太巻きなんかもあるようだ。
日本でも確かに洋食屋さんなんかに行くと、ビーフストロノガノフとピッツァとポトフとパエリアがあって、トルコライスやナポリタンなんてメニューまであったりする店があるな。

寿司はもはや日本の味ではなくて、アジアン料理の一つになったということだろう。


2010年7月19日月曜日

アウシュビッツ体験

アウシュビッツ体験

天気は晴天だ。午前中から気温は急上昇。
10時に出発したアウシュビッツ送りのバスは
予定通り1時間半くらいでアウシュビッツに到着した。

アウシュビッツ第1収容所は人でごった返していた。
すでにアウシュビッツ体験は始まっているようだ。

まずは、行列に並び英語、スペイン語、イタリア語、フランス語、ポーランド語の選択を迫られ、残り少ない財布の中身を剥ぎ取られ、ユダの印のごとくステッカーを胸に貼り付けることを強要させられる。

頭にはヘッドフォンと首からは受信機を装着させられ、11時半になると同じ色のステッカーを胸につけた者だけが20名ほどづつの集団にまとめられて、ゲートをくぐり、一人の外国語を話す先導者に付き従って炎天下の中を歩く。

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入場は38ズオティ(1000円ほど)で、どれかガイドの言語を選んで予約しるシステムで、個人で勝手に行動したい人は15時以降なら無料らしいです。

アウシュビッツ第1はほとんどが写真や資料や遺留品などの展示が多いです。
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建物に入ると薄暗く空調もない部屋は暑苦しい。
その暑さの中で全く理解できない英語を聞いているのはもはや苦行以外の何物でもない。
眼に入るのは部屋いっぱいの髪の毛、部屋いっぱいの靴、部屋いっぱいのカバン、部屋いっぱいのブラシ、部屋いっぱいのメガネ。。。。もうここまで積み上げるとコンテンポラリーアートの類である。
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ガイドはここまでで、アウシュビッツ第2は無料のシャトルバスが30分おきに出ているので、勝手に観に行くことができる。ガイドがないので無料です。
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ぎゅうぎゅうのこれまた空調も何も無い無料シャトルバスに乗り込むと、そこはもうアウシュビッツに送り込んだ貨物列車さながらだ。
混み合ったバスがカーブやブレーキなどで傾いたときに、体臭のきつい外人さんが腕をあげて手すりにつかまると、僕の鼻先には気絶しそうなほどの匂いが襲ってくる。カーブのたびに恐怖を覚えつつ、混雑で体をかわせない僕は鼻先に外人さんの脇が直接接触しないことだけを祈る。
これはもう、ガス室に入れられた気分が体感できる。

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ユダヤ人はギリシャやイタリアなどヨーロッパ各地から集められ、水も食料も窓もない貨物車両にすし詰めにされ数日かけて送り込まれたらしい。
そして到着したのがアウシュビッツ第2。
やっとの思いで、すし詰め列車から出られた到着地。
その光景は、恐らく絶望の感情以外なかったのではないかと思うような景色でした。
悲しいほど蒼い空は、あまりにも空虚で何をぶつけても、無になってしまいそうで。



ここ数日、ゲットー記念碑やらシンドラー博物館やらナチス関連、ユダヤ迫害関連を見てきて、色々考えさせられ、色々な疑問が頭の中にできあがってしまった。

ナチスのユダヤ迫害の理由ってなんだったの?勉強不足でして。
もしかして、ユダヤ人を怖がっていたのでは?
その裏返しかもしれないけど、中東戦争やパレスチナ問題にしろ現在の紛争や戦争は常に根幹にユダヤがあったりして。ユダヤ人がいなかったらこれらの紛争戦争は起きなかったよな~と。100年後もしかしてヒトラーが再評価されるかもしれないって考えてしまうのは不謹慎なことなのかな。

もうひとつは、敗戦国であるドイツとニッポン。
アウシュビッツ・ミュージアムと同様なのは中国の南京大虐殺記念館になるだろうか?
現在その記念館を拡大しているらしいけど、今後中国が政治、経済、軍事で世界を牛耳るとき、歴史すらも変えられてしまうかもしれないなぁと。
過去の悲劇や反戦ではなく、プロパガンダ的な利用になってしまうかもしれないな。

現在ユダヤ人はドイツ人をどう思っているのか?他のヨーロッパ人はドイツ人をそしてユダヤ人をどう思っているのか?
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ま、炎天下の中、空調のないバスは事故渋滞でノロノロと帰っていくのであった。



This is Polska !



その日、僕は手に入れた2等車のチケットを握って列車に勢い良く乗り込んだ。

開放った窓を眺めながらにやついてる。いや、意識してなかったけどにやついていたらしく相方に「何にやついてんの?」と聞かれて気がついたのだ。

2等車で席は指定ではないので、当然ながら列車が到着すると席取り合戦になるのだ。図らずも勢い良く列車に乗り込むことになる。

列車は30分遅れてプラットフォームに到着した。

そして冷房などもちろんない。扇風機もない。窓からの風だけ。

そんな列車旅行なのに、座れてやれやれと思っている。

そんな雰囲気が心のなかで「やっと旅がはじまったな」と感じてにやついてしまったのだろう。

ワルシャワから古都クラクフまでの3時間の全車両2等の列車は30分遅れで午後1時半ワルシャワを発った。

ま、5時くらいにはつくだろうと。




甘かった。

何度も駅のないところで停車しては、後から来たクラクフ行きの列車に追いぬかれ、時には数時間停車したまま動かず、次第に日は傾きそして日は暮れた。ちなみにポーランドの日没は午後9時頃である。
持参した水も底を尽き、もちろん食べ物もない。食堂車両はないし売り子もいない。いつ到着するかもわからない。

(半ズボンでタバコを吸って信号待ちをする列車運転手)

結局クラクフに到着したのは10時前で真っ暗である。
約9時間。6時間遅れである。通常の3倍。

This is Polska !


2010年7月15日木曜日

ワルシャワの幻想

数日前ワルシャワに着いた。
イメージどおり、駅は暗く構内も陰鬱で湿っぽい。

とうとう貧乏で不幸を象徴するワルシャワにやってきた。
ロシアに叩かれドイツに叩かれ、その昔はモンゴル帝国にも叩かれ
不幸に不幸を塗り固めてきた歴史のあるポーランド。
(カチンの森事件お見舞いツアー墜落事故)
(スターリンからの贈り物のビル)

治安も良くないと聞いていたが、2012年にユーロに加盟するため
警察が躍起になって治安維持に務めているらしい。

駅から宿までトラムで向かうが、その景色も
今まで見てきた、中国やロシアの都市と同様な
華やかさのない、パッとしない、晴れているのに
なんだかグレイな光景しか目に映らない。
と、思いきや宿があるセントラル駅の南側とは対照的に
北側に行くと、いかにも資本主義的なセンスの光景が広がっていた。
H&Mにカルフールにマックにバーガーキングにケンタッキー。
やはりこれだけ揃ってしまっていると、どこにいるか
わからなくてつまらない。

ワルシャワの観光地と言えば、世界遺産でもある旧市街。
2次大戦で一度破壊されたが、復刻されたらしく
エストニアのタリンの旧市街と見紛うほどの街並みだった。
これ以外でワルシャワには観光地はあれどパッとしない。
ゲットーの記念碑(世界遺産)やら蜂起記念碑やら
ショパンの心臓(ショパンは今年生誕200年)やら
コペルニクス像やら行ってみたところで「ふ~ん」って程度なのだ。


パッとしないけども、イメージの不幸そうな感じはこれっぽっちもなく
それこそ浮浪者や浮浪児の類もみられない。
物資も豊富で物価もとても安い。

遠藤ミチロウももう「メシ喰わせろ、メシ喰わせろ」とは歌わないだろう。

今からポーランドの内陸部に位置する、アウシュビッツにも程近い古都クラクフに移動する。
クラクフに期待。