2010年6月30日水曜日

北欧貧乏行脚

北欧貧乏行脚

今僕は北欧はノルウェーの首都オスロにいる。
昔は乞食の街とも言われた、福祉の国とは思えない街角を歩くと
物価の高さは北欧の中でもナンバー1と感じる。
ヘルシンキやストックホルムでは見かけなかった、物乞いもオスロでは
当たり前のように見受けられる。

今日は朝からの雨で、僕がしているといえば、ご飯を作ること。
ええ、ご飯作ってます。
朝からスーパーに行って食材を買い込み、朝食からです。
なぜなら、物価が高すぎて外食できないからなんですよ。
普段から調理をしていて良かったと、こんなところで気がつくとは。

昨日オスロに到着して、チェックインは15時なので仕方なく
安い昼飯が採れるお店を探したが、やはりファーストフードしかない。
カフェに入れば、パン1個とコーヒーで500円以上はするので。

バーガーキングに的を絞り、いざ一番安いチーズバーガーセットを頼んだ。
(もちろんMサイズのポテトとジュース付き)
すると2つで1300円を超えている。
吉野家の牛丼並盛だったら何杯食べれると思ってるんだ~。

やはり財布を引き締め自炊を決意。

それまでもヘルシンキでは半自炊。カップラーメンやら冷凍ピザやら。
ストックホルムでは完全自炊。
泊まった安宿がパスタ(ペンネ)はフリーと書いてあるので、有り難く
昼も夜もいただき、さらには朝はパンとミルクがフリーだというので
有り難くいただき、ペンネとパンは有り難くお土産にも失敬した。
そのパンは昨日の朝に到着したオスロのバスターミナルでいただき
パスタは昨夜の夕ご飯にいただいた。
ヘルシンキではさらに有難いのが、ご存知IKEAである。
IKEAへの送迎無料バスが出ているので、20分ほどバスにゆられて到着する
と、そこに待っているのは、無料のポップコーンをブロンドのお姉さんが配
っているではないか。超感激。小腹が収まったとみて、いざランチへ。
プレート(ミートボールとポテト)とサラダとバケットとジュースで一人290円。涙。有難い。
もちろんジュースはおかわり自由。もちろん帰りには
ソルトとペッパーと書かれた小袋を数包とプラスティックのフォークをお土産に失敬させていただいた。
ちなみに僕はIKEAカードを日本にいるうちに作っておいたので、こういった
割引料金でご馳走していただくことができたので、北欧に行かれる方にはお
勧めでです。
ちなみにどこの安宿でもキッチンは完備していて、鍋やフライパンからポッ
トに皿やコップやスプーンの類まで揃っていて、自炊に全然困らない。
ここまで揃っているなら、鍋とフライパンとまな板と包丁と持ってこなくっ
ても良かった。重いんすから。

7月の2日にはオスロをたち、こんどはデンマークのコペンハーゲンに向か
う予定である。

2010年6月28日月曜日

その他もろもろのロシア シベ鉄回想録

その他もろもろのロシア シベ鉄回想録
一週間もひたすら西へ走る列車なので、当然時差が生じてくる。
出発のウラジオストクは日本と比較して+2時間。
「え~日本よりプラスなんかいな~」でしょ。
そして到着のモスクワは日本と比較して-5時間。
車内はモスクワタイムで過ごしていくので、時差が7時間もある中を列車は走っていく。

最初は一日の流れが、当然合致しない。
しかも白夜だったりして、本当の昼間はいつなのか、夜がいつなのか、
本当の時間は何時なんだ?みたいな何を基準にしたらいいかわかんない。
車内の乗客の行動もまちまちで、寝る時間も食べる時間も酒飲む時間もまばら。同じ乗客ののお姉ちゃん。(ちょっと嫌がって、首が向こうに行ってるのが味噌)

だけど、モスクワに近づくにつれて、日の出や日没と時計がだんだん合致し
てくるので、行動が同一化してくるのが面白かった。

途中、バイカル湖の湖畔のイルクーツクでは32度という夏日を記録した。
その後、モスクワに着くと、肌寒くコートを着る者、または革ジャンを着る

者など冬姿なんです。
時差もきつかったけど、この温度差もきつかったね。
おかげで、しばらく風邪をひきましたよ。

それと、ロシア人のイメージってどうですか?
態度がでかくて、威張ってて、無骨そう。
確かに駅員とかお国の関係の人たちってそんな感じでしたかね。
実際、色んな面々に怒られましたんで。
でも一般人はそうでもなく、単にシャイなだけなんではないか?と思いましたね。

しかも、彼らの行動で驚いたのは、とても忍耐強い。
例えばトイレ待ち。列車のトイレは朝方は行列になったりするんだけど、
誰もノックしたりしない。ただドアの前で立ち尽くす。
ノックもしなければ、ドアノブをガタガタしたりせず、大人しく待ってるんです。
また、切符売場では、貧乏揺すりもせず、平気で2時間以上も列に並んで待っている。
僕はずっとイライラしっぱなし。
ロシア人は忍耐強いのか、のんびりしてるのか、なかなか憎めないとこありますよ。

地図(カルタ) シベ鉄回想録

地図(カルタ)

ロシアでは地図のことを「カルタ」と呼ぶらしい。
ちなみにスペインではカルタと言えば「手紙」のことを言う。

そんなカルタ(地図)はシベリア鉄道でとても友好に役に立った。
例えば、どこに軍があるかとか、「オレはここに実家がある」とか
「オレはここで降りる」とかコミュニケーションがとりやすかった。

知らないおばちゃんも、「カルタ貸して」って言って、地図で
自分が降りるところや、自分の家を聞いてもいないのに教えてくれたりする。

でも、大概地図を指さして言ってくるのが、「ロシアはでかい!日本は小さい!」とな。

シベ鉄ソング シベリア鉄道回想録

シベ鉄ソング

シベ鉄で遭遇したロシアンアーミーたちは、しきりにヒップホップを携帯電話で鳴らしていた。

彼らは以前はアメリカと対立していたが、今ではヒップホップにアメリカのタバコ、そしてジーンズにマクドナルドにコーラとアメリカの文化をおおらかに受け入れている。

彼らに、「日本の曲を聞かせてくれ」と言われたので、iPhoneで山形県民謡の花笠音頭を(予めダウンロードしておいた)鳴らしてみたが、「???」って感じで用事を思い出したのか、どっかに行ってしまった。

さて、シベリア鉄道の車窓に合う音楽。ベスト3。
といっても、たまたま僕のiPhoneに入っていたものだけなのだが。

第3位!と黒柳徹子さんにやってほしい。
ARBの「トラブルキッズ。」
もうキッズじゃないんですが、旅を続ける哀愁がいいんですよね~。たぶん誰も知らない曲だと思いますが。

第2位!
ご存知、ゴダイゴ「ガンダーラ」ふるっ。
これ聞くと、お参りしたくなるんですよね~。

そして第1位!
久保田早紀「異邦人」!おめでとうございます。
やっぱり、海外放浪の旅情をかきたてられました。
なんだか、もう帰らぬ人になった気分になってしまいます。
世界の塵か藻屑になってしまう気分にさせられます。
ま、誰にも共感してもらえませんが。

その他、山口百恵の「いい日旅立ち」もよかったのですが。

本当は聞きたかったのは、NHKでやってた「日本新紀行」って番組の
冨田勲の曲。これが「ジーン」とくるんだね。
ま、ロシアの大地に合うかどうかわかんないけど。

こんな旅情に浸ってても、ロシアンアーミーたちのラップにかき消されるんですがね。

旅先でありえないこと シベリア鉄道回想録

旅先でありえないこと シベリア鉄道回想録

旅に出て数日目。最初のメインイベントとも言えるシベリア鉄道。
その列車に乗って2日目。

旅はトラブルの連続とアンビリーバボーの連続なのは理解しているつもり。

セキュリティのために持ってきた鍵付きのワイヤーが壊れた。
というより、同乗してたロシア人のアーミーの16歳少年に壊された。
呑んでる間に、気がついたらバラバラ。
「おめ~何やってんだよ~」と言っても笑うだけ。
まだあどけない少年は子供心でいっぱい。

さらには、シベリア鉄道でモスクワまでのお酒をウラジオストクで買い込んだ。
まずは、ロシアの代表ウォッカ。これがあれば、長持ち間違いなし。
そしてリキュールのサルバトーレ。
さらにさらりとサングリア。
あとは日々のビールがあれば大丈夫でしょ。
って、なんで乗った次の日に全てなくなっちまうの~!

ロシアンアーミー達にさんざんたかられて撃沈。
そういう僕もまんざらではなく、アニキ風吹かせながら
「やい、お前ももっと呑めよ」とかやってたんですがね。

まったくもって、ありえない、いや有りがちな話ですかね。

2010年6月25日金曜日

世界の車窓から(シベ鉄編) 回想録

世界の車窓から(シベ鉄編) 回想録


どこまでも続く大草原に白樺の林、そしてなだらかな山々。

いつまで見ていても飽きない景色。





飽きるよ~。何日も同じ景色なんだから。





世界遺産のバイカル湖。

でかい!どこまでも続く湖。琵琶湖どころではない。

美しい。何時までも見ていたい。





気がついたら寝ていた。

しかも3時間以上昼寝してたのに、まだ続くバイカル。恐るべし。







工場萌えとか廃墟萌えの写真を撮影したいならロシアはお勧めです。

何十年前かの建物が退廃的にそのまま残されたままで

これは好きな人はググッときます。


しかもたくさんあります。その姿にも飽きます。







野生の花畑が見ることができます。

緑だけに飽きた目には黄色、紫、ピンク、などの野生化した

草花は楽しませてくれます。





でもやっぱり飽きます。






平原に雪が見ることができます。





でも飽きます。



きっとあなたは、この文章に飽きます。





2010年6月24日木曜日

チョーカッツァ(乾杯) シベ鉄回想録

チョーカッツァ(乾杯) シベ鉄回想録

ロシアと言えば、ウォッカである。
それは彼らロシア人の誇りでもあるかのように、「ウォッカ、ウォッカ」という。


彼らに教えてもらった酒のルールというか習慣。
まずは、喉元を指で弾くゼスチャー。これは飲もうぜって合図。
最初はなんだかわからなかったが、その後にグラスを口元で傾けるゼスチャーをしたのでわかった。


もうひとつは習慣というか美味しい飲み方。
ウォッカをショットで煽った後に、生のトマトに塩をたっぷりとかけてガブリ。これはイケル。
そういえばウォッカとトマトの相性はカクテルのブラッディメアリで体験済みだ。


ぜひお試しあれ。

シベ鉄交友録 回想録

シベ鉄交友録 回想録

運がいいのか悪いのか、ウラジオストクで列車に乗った際は
「なんだ意外と清潔だし空いてるじゃん」なんてたかをくくって寝入ったが
数時間後に何やら大量に乗ってきた。

あっという間に満席状態。しかも若いムキムキの野郎ども達だ。
何かスポーツの団体か何かのようだ。

寝入っているというのに五月蝿いし元気だし、汗臭いし。

翌日の夜、負けずにビールを呑みさらに乗車前に買い込んだ
ワインを呑んでいると、そいつらと意気投合。

話し始めるがほとんど英語は通じない。
とりあえず通じたのは、こちらが日本人だということ。
そしてムキムキ野郎ども達は軍の兵士ということ。
といっても1年間の兵役ってやつみたいで、昨日が上がりの日だったようで
1年ぶりのシャバが懐かしくて盛り上がってたのだろう。

そいつらが、「ロシアの酒はウォッカだ」と言うので、
す~っとウォッカを出して「これだろう!」というと盛り上がった。
まずは、すでに酔ってたアニキと僕がウォッカを注ぎつつかれつ
ショットの一気飲みを3杯やったあとは、みんなで回し飲み。
(暑苦しさがわかっていただけるでしょうか?)

「Are you Tourist?(あんたは観光客か?)」と聞かれ、
その発音がTerrorist(テロリスト)に近かったので
冗談で「I'm Terrorist」と答えると爆笑された。

旨い酒と適当な英語で交友は作り上げることができる。

そいつらに教えられた「ナッホイー」とか「ニケニケリン」とか
恐らく隠語と思われる言葉の意味が未だにわからない。
50円玉をIDと一緒にネックレスに)

ちなみに彼らとは毎日のように呑み、昼間でも僕らのシートに誰かは
やってきて、ビールやウォッカをおねだりされたりしていた。
仕方なく!昼になると毎日2.5リットルのペットボトル入りのビールを
買っては宴を催していた。

アーミー達はそれぞれ自宅が近づくと今までジャージにサンダルだったくせに軍服に着替えて駅で降りて行く。
そのたびに、僕に手を振ったり握手をしてきたり。なんだか短い時間だったけど嬉しい。

モスクワ到着の2日前にほとんどのアーミー達が降りて誰もいなくなると
ちょっと寂しかったりした。
でも、列車内から奴らの体臭が消えて、なんだかスッキリもした。
(ちょうど歩く高さに2階のベッドで寝てる足が鼻先に)

2010年6月23日水曜日

シベ鉄生活 回想録

シベ鉄生活 回想録
さてシベリア鉄道で、どんな生活を送っていたか。
ウラジオストックから6日間も列車の中で生活する。

最初ウラジオストクで乗り込んだとき、意外にも清潔じゃんと安堵の気持ち
を感じた。
が、ツーリスト用の1等車や2等車ではなく、生活者が寝起きする3等車は
、トイレはあれど、シャワーや風呂の類がない。

必然的に数日すると体臭で列車の中はキツい匂いで覆われる。

またウラジオストクとモスクワでは7時間も時差があるので
乗客も生活パターンが各々バラバラだ。

人によっては寝てばかり。人によっては呑んでばかり。

しかも3等車には食堂車などない。もし、食堂車などがあっても
貧乏だから食堂車で飲み食いするほどの金がないのである。
したがって、食べるものは車内で売っているカップラーメンが主食。
彼らロシア人は相当なマヨラーらしく、カップラーメンにマヨネーズを入れ
て食べている。
人によってはサラミやゆで卵をナイフで切っていれたりアレンジ。
僕らはというと、カップラーメンに乾パンに缶詰。
ウラジオストクからイルクーツク辺りまでは、30分くらい停車する駅では

、おばちゃんたちが食品を売りに来る。
例えば、トマトやキュウリ。パンや惣菜。
また駅のホームのキヨスク(日本みたいのを想像しないでください)で
ビールや缶詰やらスナック菓子なども売っている。
ちなみにビールは驚くほど安く、2.5リッターで120ルーブル。つまり360円ほ
どで買えてしまう。

結局、車両での生活は呑むか寝るかになってしまう。

しかしながら僕は、この機会を狙って古本屋で仕入れた本をとにかく読みま
くった。

シベ鉄で読破した本は

インドなんか二度と行くか!ボケ!! さくら剛
癒しのチャペル 辛酸なめ子
中学英文法を修了するドリル Evine
Piss 室井佑月
どうせダンスなんか観ないんだろ!? 乗越たかお
僕に踏まれた町 僕が踏まれた町 中島らも
4日目辺りから、明らかに空気の汚れで、咳をする人が増え、僕も喉に痛みを
感じ始める。

シベリア鉄道の3等車に乗る人は、覚悟して乗ってください。


救世主現わる

救世主現わる

モスクワ駅(モスクワ駅というのは存在せず、「モスクワ行き列車」という

のはモスクワ市内にある数カ所の、とある駅行きのこと)の構内で不安な夜

を一夜過ごした。いきなりホームレス状態である。

まったく最近のニュースを知らない僕たちは、たまたまキルギス人と通じな

い言葉をなんとか身振り手振りと地図を使ってコミュニケーションを図りつ

つ、持参したビールで乾杯し、朝を待った。
寝不足でめちゃんこ疲れ気味。

朝5時頃、駅構内は動き始めた。
それでもまだ日本大使館は開くわけがない。
そこで、5時間の時差がある日本なら既に連絡が着くはずと
日本の旅行社に連絡をとってみた。

全て個人旅行なので、旅行社に手配はするつもりはなかったのだが
ロシアだけは、旅行社のバウチャーがないとビザすら発行してくれない
お国柄のため、お世話になっていたのだ。

電話が繋がった。とにかく状況を説明しなんとか対応してもらうことに。
こりゃラッキー!

待つこと数時間後に、電話がかかってきた。
どうやら、とても危ない状況にあるという。そして、すぐに処置しないと
いけない状況にあるらしい。
そこで、空港でビザの延長を依頼し、うまく行けばそのままタリン行きの飛

行機で出国できるかもしれないらしい。
そして現地のスタッフが迎えに来てくれるとのこと。

これはありがたい。いきなり急展開でないか。
なんだか明るい光が見え始めた。

そして待ち合わせ場所に現地スタッフのエレーナさんと合流。
お~ナイス トゥ ミーチュー エレーナ~。
日本に何度も滞在したことのある日本語ペラペラの
ロシア人のご婦人である。
なんでもロシア抑留問題に取り組んでいらっしゃって
日本で本も2冊ほど発行しているお方が、僕たちの行く末を占ってくれる。
「安心してください」との暖かいお言葉。
もう、大船に乗ったつもりで勝手に甘えちゃいます~。

エレーナさんの旦那さんが運転する車で一路空港へ。

空港内に外務省の一部署があり、そこでビザの延長をしてくれることがある

らしい。

この後の作業は、ネットにも歩き方にも恐らく載っていないだろう。
用意したのは
・列車チケット(乗ったけど降ろされた時のチケット)
パスポート写し(まさかこんなに早く使うことになるとは)
嘆願書(エレーナに書いてもらいました)
出国用チケット(空港の旅行会社で購入)
一人当り25ドル(ビザ発行手数料、米ドルで)
で、MFAの係官と交渉。
 
9時過ぎから手続きを始めてから、長く感じたが目出度く12時前には
ビザが降りた。
出国できる~。やっほいやっほい~。
エストニアに行ける~。
スパシーバ、エレーナ~。と握手握手。

エレーナは「まだ何かしてあげることはありますか?」
僕「またトラブルがあったら連絡します。」
エレーナ「これ以上のトラブルはないから大丈夫」
僕「ありがとう、今度はモスクワでなく日本でお会いしたいです。」
エレーナ「あ、トラブルがあったらここに電話してきて」
お互い、どこまでも不吉な冗談を言い続けるのだった。

こうして陸路だけでのユーラシアの旅は、あっという間に飛行機を使って
エストニアはタリンに到着するのだった。


2010年6月21日月曜日

そしてプチ不法滞在 再びモスクワ

そしてプチ不法滞在 再びモスクワ

エストニアのタリンに行くことを拒まれ、途中下車させられた僕たち二人は
途方にくれて、夜のホームに立ち尽くした。

ここで消沈していても仕方ない。
とにかくモスクワに戻ろう。
まずは、モスクワ行きの列車を確認してチケットを購入するしかない。

20時を過ぎており、次の列車はどうやら21時台にあるらしい。
相方をホームの待合室に置き、急いでチケット売場に行くと4つの窓口に約20人ほどが並んでいる。
意を決して列の最後尾に並ぶが、一人当たりの処理時間がメチャクチャ長い。
気がつくと21時台の列車の発車時刻が迫っている。
列はいっこうに縮まらない。
結局21時台の列車も行ってしまった。


並んでいる途中に窓口が休憩に入ってしまったり、購入時に英語が通じなかったり、英語がしゃべれるロシア人に助けてもらったりしながら、なんとか23時台のチケットを手に入れることができた。
その駅に到着してから既に2時間半が過ぎていた。
列車は23時41分発。

乗り込むとその列車は寝台列車で既に皆さん就寝済み。
2時間後にはモスクワに着くので、仮眠程度に座ったまま寝る。

モスクワ駅に深夜1時過ぎに着くと、肌寒い。

これからどうなってしまうのか?
12時をまわったので、既にビザは切れて不法滞在ということになる。
日本大使館はまだ開かない。
既にビザが切れている者にビザの延長などしてくれるのだろうか?

モスクワよ、僕たちにどうせ~っちゅうね~ん。

続くはず

2010年6月19日土曜日

モスクワへ帰れ!

いきなり最初のブログはトラブルからだ。

今まで、スケジュールも問題なくこなしてきたのだが
とうとうトラブルにであった。

それも今まで経験のない、しかもあまりネット上でも聞いたことのない。


6月17日、僕たちは予定通りにモスクワ発タリン行きの列車に乗り込み
定刻の18:08発に発車した。

パスポートチェックのため、乗務員がパスポートを回収していった。

僕たちは、出発後のリラックスモードに入るための準備をしていた。
もちろん、ビールを出したり、読書の本を出したりと。

そこに乗務員が声をかけてきた。「こっちへ来い」と。
通路側に座っていた相方が、誘われるがまま乗務員室の方に消えていった。

少しすると、相方が戻ってきて「今日は17日だよね」と。
「ビザが足りないってゆう意味を言われてるみたいなんだけど」。

ビザは間違いなく今日の日付までのを取得している。完璧なはずだ。

もう一度相方が乗務員室から帰ってくると
「サンクトゥベルグを出発して国境を出るのは18日になるので
ビザは18日までないとダメみたい」。

「え、え、え~~(完璧じゃね~じゃん)」
確かに夜行列車のダイヤまでは確認してなかったなぁ。

乗務員と直接話してみるが、英語は全く通じず。
ワーワー騒いでみたが、乗務員が言う事は
「次の駅で荷物まとめて降りて、モスクワへ帰れ!」。
それ以降、一切無視された。

ビザが切れてるから出国できないってことは、どうなるんだ?
このままモスクワに急行して飛行機で今日中に出国できないだろうか?
頼み込んだらどうにかならないかなぁ?
もし、モスクワに帰っても日本大使館はもう閉まってるし。
明日は金曜。翌日は土日で官公庁は休業。
最悪は日本へ強制送還?
とか、リラックスモードはいきなり不安の塊モードに。

そして出発から2時間後の20時過ぎに
言われた通りトゥヴェルという閑散とした駅に放り出された。

続く、と思われ。



2010年6月3日木曜日

やりたいこと、やるべきこと、やらないこと、そしてミッション

やりたいこと、やるべきこと、やらないこと、そしてミッション


<やりたいこと>

もちろん目的を持たない旅もイイ。
でも海外放浪を1年もやるなら、何かテーマを持ってみたいものだ。

大きなテーマなどはなかなか決まらないけど、やりたいことくらいなら出てきそうだ。

例えば、世界遺産30箇所制覇とか。有名な映画の舞台となった地を10箇所訪れるとか。

僕の場合、もっとくだらなくて、何かのテーマを決めて写真を撮りためしていきたい。
トイレの便器でも水道の蛇口でもマンホールでも、その街々や宿などで出逢う決められたテーマを1年間ずっと記録していきたい。

それから写真といえば、「世界の野良」でも撮影していこうかなと。
世界には色々な野良がいるはず。例えば、猫や犬は普通としても、インドには野良牛がいるし、どの国にも野良人がいるだろうし、考えられない野良に出会えるかもしれない。

ビデオカメラも持っていくので、動画も撮影する。撮りだめして帰ってから動画作品の一部にできたらと考えたり。
「チケ」のyou-tube用CMを作ってみたり。

海外に行って時間があると覗きたくなるのが電気屋さんや本屋さん。
なんとなくトレンドがわかったり、電化製品なんかはどこの国の製品の何が強いのかなどがわかりやすい。日本の製品は最近は中国を始め台湾や韓国製品に押されているけど、カメラやゲーム機器などは依然強いようだし。

それとおもちゃ屋さんも覗いてみたい。その国の子供文化に触れられそうだ。

物価調査も考えてます。各国のスーパーや市場で食品や定食屋のランチなんかの値段を記録して一覧にしてみようかしらん。

これは、出会えるかどうかわからないが、世界のFREEを探してみたい。
つまりタダでもらえるものやタダで受けられるサービスが、あるのか?
例えば日本でいうティッシュ配りみたいなもの。似たような無料のサービスが他国では存在するのか?

現地の民族舞踊とかコンテンポラリーダンスとか観れたら観たいなぁ。美術館関係は出来る限り廻りたい。

もちろん、世界の料理世界の酒は堪能してきます。



<やるべきこと>

先にも書きましたが、英会話ですな。これは習得したい。

そして、帰国後に始める新しいビジネスモデルの構築。まだどの方向で食べていくかは漠然としか決めてない。
旅の途中にネットを使って市場調査をしたりしながら事業計画書くらいに仕上げて、準備出来るものは準備しながら帰国したい。




<やらないこと>

高級ブランド品の買い物、ゴルフ、三星レストランでのディナー、高級ホテル滞在、飛行機での移動、その他贅沢な品々の購入および行動一切これを禁ず。



<ミッション>

ミッションを募集してます。
「ここでこれやってこい!」というのありません?
今まで、銃口を向けられたこと2回、軍事政権ミャンマーで逮捕歴1回。
などなど、際どい旅もやってますので、ミッションを考えてください。
なんだかキツいミッションだけでなく、北欧雑貨の買い付け?とか。

そしてスポンサーも大募集。滞在国の大使館に地球の歩き方を送ってくれるなど暖かい支援も募集中。
また、どこそこの国に知り合いがいるので、その人を頼ってみろってな感じもお待ちしてます。

もちろん仕事をくれたりも有り難く頂戴します。

ま、とにかく良い旅を。ん?逆か。

僕の英語コミュニケーション能力

僕の英語コミュニケーション能力

よく「英語なんて全然喋れないですよ~」とか言って
僕からすると全然喋れてる人がいる。
あなたも、そんな一人?もしくはペラペラ?

僕も同じく「英語なんて全然喋れないですよ~」と
同様に答えるのだが、本当に英語がダメなのだ。

海外旅行の際は、知ってる限りの少ないボキャブラリーを文法と関係なく
羅列するのが精一杯。
たまに、ひとつの単語を何度も連呼したり、その単語だけ声を大きくしたり
の工夫がいいところだ。

ヒヤリングにおいても同様で
海外で散歩をして宿泊中の宿に戻ってきた時の話。

宿のスタッフに呼び止められ、なにやら英語で止められたのだが
よくわからず、ニッコリ笑顔でスルーした。
階段を上がっていくと、なんだか雰囲気に違和感を感じる。

その後ですぐにわかったのだが、恐らく「ここはお前の宿ではない」
「ここから先に進むな」という意味だったのだろう。

宿の造りがあまりに似ていたので同じ通りにあった宿泊していた宿と
間違って別の宿に入っていってしまったのだ。

さて、こんな英語力でこれからの1年ほどの海外放浪生活が
円滑にいくのだろうか?

確かに今回放浪する先には英語圏はイギリスくらいで
英語を母国語としている国はたぶんない。

しかも、宿を探したりご飯を食べるのに、英語ができなくても
身振り手振りでだいたい通じるのはわかっている。

しかしやはり世界の共通後なので、できないよりできた方がイイのは当たり前だ。



ってことで今回の旅行では、英会話に力を入れてみようと心に決めてみた。
何しろ日本語が日常にないという高環境ではないか。

そこで持参するのは2年くらい前にECCに通ってた時のテキストブック10数冊。
これが1年で30万円ほど払い込んで、全然上達しなかったんだな~。

この他単語帳やら、英会話の音声ファイルをPCやiPhoneに入れて持参。

さて、帰ってきたときには見事に英語がペラペラになってるんでしょうかね?
本当は出発前にTOEICを受験して帰ってきてからの点数と比較してみたかったけど
出発前の受験はできませんでした。

帰ってきてTOEICを受験して、僕は何点くらいとれると思いますか?