2010年10月19日火曜日

イタリア半島縦走録

スペインのマドリッドから30数時間バスに乗り続け(バルセロナで乗り換えあり)、やってきました水の都のベネチア。
もう絶対個人旅行には合わない特に貧乏旅行には合わない観光地でした。
とにかく物価が高く、荷物預かりに5時間で12ユーロ(3個合計で)と
貧乏旅行では1泊に値するほどの料金を払うことに。
何はともあれ、事前の情報確認不足以外の何ものでもありません。
この街はやはりパック旅行やツアーで来て、荷物はポーターが
そして移動は旅行会社が全て用意してくれて待ち時間なしとかの方が
たぶん楽ちんで安上がりなのではと思いました。

ピサの斜塔を適当に流し
そしてフィレンツェでは、最大の楽しみであったはずの
ウフィツィ美術館は予約なしでは入れず、(予約料と予約手数料をとられる)フィレンツェを後にするはめに。
「くっそ~、人類共有の文化遺産を商売道具にしやがって~」
ローマでは何も期待してなかったので、一日で
真実の口だのトレビの泉だのバチカン美術館だのスペイン広場だの
そうそうたる観光スポットを走破した。
何十回と見た「ローマの休日」に出てきたスペイン広場の階段は
人で埋もれて見えないし。

唯一見たかったシスティーナ礼拝堂の天井画が見れてそれだけで
満足ですた。
そしてナポリ、ここはちょっと他のイタリアの観光地とは
光景が違うといったらいいのか、もうここはアジアンです。
ある意味、活気は感じます。
街はゴミで溢れ、王宮前もゴミが散らかり、あちこちに露天商が出て
落書きだらけの荒れ放題。
いまだに駅のホームでの喫煙が許され、バイクは逆行し
もう秩序というものが皆無のようです。
宿の主人にも「大金とカードとパスポートは洋服の中のウェストポーチ
に入れて」「支払は予めズボンのポケットに小銭だけ入れておいて
それで支払うこと」とチェックインの際に3回言われた。
なんでもショルダーバッグはストラップごと切られて持って行かれるそうなので。
風光明媚なはずのサンタルチア港もなんだか重たそうだし、
他の観光地とは大幅な格差を感じた。
しかも天候の関係で青の洞窟には行けなかった。

僕は、はたと気がついた。こんな旅がしたいのではない。
こんな観光地はどうでもよいのだ。
スーツケースを転がしてくる観光客が押し寄せるとこにいても面白くない。
(けど、一度は見ておきたい・・・。)

東へ。中東、亜細亜へ。


日帰りのつもりが結局9日もいたモロッコ

モロッコに入るまでに調べた情報によると
散々な悪意に満ちた、というか、本当に嫌な思いをしたのだろうが
悪い情報だらけだった。
しかし僕らにとってモロッコはとても居心地の良い国だった。
確かに、ヨーロッパと比較してしまったら
宿やトイレやレストランや交通機関などの衛生や使い心地は
悪いだろうが、それは当たり前というもの。
それらも含めて楽しむのが旅だ。

タンジェから夜行バスでカサブランカ、夜明け前に乗り継ぎ
マラケシュ。
羊の脳みそ↑

そして、サハラ砂漠が見える街、メルズーガへ。

当初相方などは「モロッコは日帰りでもいいんじゃない?」と
言ってたけど、結局9日間も滞在してしまった。

モロッコでは食べ物はそこそこ。僕らには塩が足りないって
感じる味付けの料理が多かった。
思い出に残るのはやはりメルズーガの宿、ノリコさんの宿での
滞在とサハラ砂漠のラクダツアーだ。
ラクダに乗るのも初めてだし、砂漠に行くのも初めて。
砂漠がこんなにも綺麗なのかと恐れいった。
人間が汚した部分を覆い隠して再生する作業が砂漠化なのでは?
地球の自然なサイクルなんじゃないかとも思った。
そして砂漠に寝転がって見る満天の星空は
僕の知っている星空とは違い、わざとらしく感じるくらいだった。

もっとのんびり滞在したかった。
が、こんなにノンビリしてたら、ダメ人間になってしまいそうだ。
いや、既になってるか。リハビリしなきゃ。

たけし君とこうじ君


メルズーガの宿はさすがに他の観光地の宿とは異なった。
それは他の日本人宿とも異なる。
何故なら、「砂漠まで徒歩5分」という環境で
マラケシュからもバスで12時間ほどかかる地で
よっぽど旅好きでないと来ないであろう場所だからではないだろうか。

そんな場所だけに、集まってくる旅人はみんな濃い。
たいがい世界中を旅してるツワモノが揃ってる。
もちろん留学途中のコや青年海外協力隊の休暇で来ている人もいるが、
みんな旅慣れててフランクでフレンドリー。

そんな中で際立って目立っていたのが
たけし君とこうじ君だ。
こんな名称は勝手に僕がここで付けただけであって
彼らは別にお笑い芸人でもなんでもない。

こうじ君はどこから来たのか僕は知らないが
たけし君は車でダカールを目指して疾走している
オタク然とした標榜の男である。
僕が気に入っている彼の語録は
「ここのハエは人懐っこいよね~」「日本の蚊はガッツがないよね~」

彼らのオチもないトークはみんな飽きない。
もちろんトークはみんなに向かって話している訳ではないのだが
自然とみんな聞き入ってしまうので、途中で質問したりして
オーディエンスとなってしまうのだ。

そのトークの内容はやたらと幅が広い。そして濃い。
しかも笑いが何故か挟み込まれている。
「小惑星探査機はやぶさ」
「リーマン予想」
「吉野家のコピペ」「アイラ島のウィスキー」
「鷲宮の消滅」「2Dが3Dに見える話」「イタ車の話」「サッカー中田」その他もろもろ。
守備範囲が広い。
と、一見興味が湧きそうもない話なのだが、彼らの話は
ついつい聞き入ってしまう話なのである。

お~い、たけし君とこうじ君、今は何処へ~?


2010年10月10日日曜日

初めて来たアフリカ大陸、モロッコ

アフリカ大陸に渡る前夜は、トレドのバルで
トルティージャやガスパッチョをいただきながら
シェリー酒で心地良くなっていた。

翌日トレドからアグレシラスへバスで1時間ちょっと。
そしてフェリーで1時間。
さらにバスで1時間弱でモロッコのタンジェに到着した。
もうここは完全なるイスラム世界。
早速食べた早めの夕飯は、昨夜とは打って変わって
モロッコ料理である。
もちろんイスラム圏では酒というものは売っていない。

それでもひたすら探して見つけてしまうのが
酒飲みというものである。
そこらへんの商店にいくら聞いても、ビールはおいてない。 
食堂やレストランの類でもなかなかないのだが
通りかかったレストランにおいてあった。
後で精算してびっくりしたが、モロッコサラダと
モロッコスープが180円。ビール1杯が250円。
輸入品であるビールは高いのである。
さらに高いビールで肝を冷やして
どこか売ってないものかと探すとありました。
ここでは一番安いビール500mlで110円。
モロッコではレストランで清涼飲料水やビールは
やめておこうとルールを決めた。

モロッコに来る前に、インターネットで情報を集めると
「二度と行きたくない」とか「できれば通過することをお勧めします」
など酷評が多く、客引きがうるさかったり、偽ガイドの類が
多く騙されたりと、さんざんなイメージである。
僕の頭の中では、インドとどっちが凄いかな?
と戦闘態勢になっていた。
ところが、みんなフレンドリーだし客引きはほとんどいないし。
日本人観光客が多いのか、客引き以外の人や子供も
「ありがとう」「さようなら」何故か「頑張れ」と日本語で
あいさつしてくる。

市場やメディナと言われる、昔は敵が迷うように作った迷路のような
街で喜んで迷子になってみた。
本当に出られなくなる。気がつくと同じ場所に出てきたり。
迷路を楽しんで本当に帰りたくなったので、高校生位の少年を捕まえて
グランドモスクはどっち?と聞くと教えてくれ
後で心配になったのか、追っかけてきてグランドモスクまで
案内してくれた。
僕らの戦闘態勢は、すっかり拍子抜けであった。
きっとこの数年で、モロッコも変わったのだろう。
世界はアッというスピードで変化し続けている。
もはやブログで目にする情報は、古過ぎるのかもしれない。

これから深夜バスでカサブランカで乗り継ぎ内陸部のマラケシュへ向かう。


おいおい、試飲させてよ


シェリーといえばヘレス。ヘレスというばシェリー。
と言われるくらいシェリー酒はヘレスなのである。

当然ながらシェリー酒を作っているボッテガ(製造所)に行って
見学したいじゃないですか。もち試飲も。

ってことで行ってきましたボッテガ見学。
しかし、当然ながら英語での説明に僕らはハテナの連続。
何の説明受けてもチンプンカンプン。
ガイドさんのジョークにみんなが笑っても僕らはムッツリしているわけである。
ガイドさんには「まったく東洋人はジョークもわからないんだからっ、プン!」と思われているだろう。
それでも皇太子さんの樽があったのだけはわかったよ。

で、やはり目的は試飲である。
これは説明というよりも、感じるだけだから分かりやすい。

いざ、試飲。
が、出てきたのは「TIO PEPE」のドライシェリーだけ。
なんでなんで?ショップでも試飲はできない。
飲み比べもできないじゃないか。
誠にもって不満満タンである。
仕方ないので、試飲用に出てきて残ったボトルごと
持って帰った。

不満充満でやりきれず、街に出てシェリーを試飲と言いつつ
飲み歩く僕らであった。


また来たよセビージャ


3年ぶりか。セビージャにやってきた。
大好きな街のひとつだ。
ここに滞在するというだけで、心地いい。
空は青いし、空気はカラッとしている。
バルでは美味いタパスと旨い酒。
そしてフラメンコ。
一番好きなのは、スペイン最大のセビージャ大聖堂だ。

神社仏閣も好きなのだが、この大聖堂を見てから
教会というものを訪ねるのが好きになってしまった。
教会によって、華やかで優雅だったり、厳格で重かったり
圧倒されたり、落ち着かされたり。
教会には絵画や彫像、そしてフレスコ画やステンドグラス。
それぞれ教会によって変化に富み楽しめる。

僕にとって新しい楽しみを与えてくれたのが
セビージャ大聖堂なのだ。

そのセビージャ大聖堂を再び訪れると
やはりその空気に圧倒された。そしてだんだん気持ちが静まってくる。
聖堂内にあるコロンブスのお墓に「今後も良き旅を続けられますように」と。

このスペイン最大の大聖堂も、元々はイスラム教のモスクを改築したものだったのだ。
偶像崇拝を禁止するイスラム教の人からすると、モスクを改築した後のキリストやマリアの彫像やレリーフは耐え難いものがあるのではないだろうか?


フラメンコは前回も行った、チャージ料のいらないドリンクのみで
見ることのできるタブラオへ。
今回は近場の白い村で有名なアルコス・デ・ラ・フロンテーラや
ユダヤ人街やメスキータで有名なコルドバにも足を伸ばした。

セビージャも先回来た時と違っていたのが
川沿いのツーリストインフォメーションが閉鎖になっていたのと
コルドバ行きのバスが先回は南のバスターミナルだったのが
北のバスターミナルに変わっていた。
セビージャに行かれる方は、お気をつけ下され。






西の最果て、取り残されたポルトガル

サンセバスティアンを後にし、サンティアゴで2泊して
西の最果てのポルトガルはリスボアにやってきた。
キリスト教三大聖地でもあるサンティアゴは
スペインの東から歩きやら自転車やら巡礼者が押し寄せる。
その割には全然観光化されていない街で、全てが古い。

ヨーロッパの各都市を周遊して旧市街などを見てきたが
どこも古くちゃんと手入れされ美しさを保っていたが
サンティアゴという街は、ただ古いだけ。といった風情で
壊れたら壊れっぱなし。塗装しなおしたり修繕したりといった
メンテナンスをしていない古さ。古いまんまなのである。

そしてリスボアにもそれと同じものを感じた。

ユーラシアの最果てであるポルトガルは、大航海時代に
全盛期を終えてしまい、その後の近代化にすっかり
取り残されてしまったような街だった。
街を走る車はもちろん最新車も走っているが、図鑑でしか
見ることのできないような車が現役で走ってる。
トラムも内装は木材、ボディは鉄板一枚で内壁に膝を当てて
外から鉄板を打つと膝に直接響く。
この街は他のヨーロッパとは異なり、スペインのアンダルシアと同じく
イスラム色も強い。さらにはブラジル人も多いらしく多国籍だ。

大変だったのは、道が覚えにくいというか、宿でもらった
ツーリスト用のマップが分かりにくいことだった。
マップ上のツーリストインフォメーションのマークである「i」が
でか過ぎて、その周辺に行ってもどこだかわからない始末であった。
さらに坂が多く曲がりくねっているので迷いやすい。
道理でこの国の車は小型車ばかりなわけだ。

天気を見計らってロカ岬へ出かけた。
ユーラシア大陸最西端である。
極東の果ての島国から船と陸路でバカバカしくもよくやって来たものである。

リスボア名物いわしの炭焼きも食べた。ファドも聞いた。(はしごして2軒目で寝たが)


バカバカしい旅は、これから東へと続いていく予定である。