2010年11月24日水曜日

ユーゴスラビア紀行(ボスニア・ヘルツェゴビナ編)

ボスニアのバスターミナルに到着したのは予定より早く
まだ夜も明けない暗闇の中だった。

ボスニア・ヘルツェゴビナの通貨は僕からするとヘンテコな
兌換マルク(だかんマルク)だって。
2002年までドイツマルクと1:1の固定で交換可能だったことからだそうだ。
今はユーロと同じレートだとか。
その通貨がないとサラエヴォ市街地にも行けない。
カフェにも入れない。
夜明けを待って、バスターミナルから砂利道を通りデパートにある
ATMで現地通貨を手に入れた。

バスチケットブースのおばちゃんにチケットを売ってるかどうか
聞こうと思い、「Excuse me」と声を掛けるやいなや「No」って
チケットの有る無し以前にどうやら英語がダメだということらしい。
前日までいたセルビアと反対にボスニアは、英語が通じにくく
観光客にも慣れていないようだ。

この国もまた1995年までは紛争地帯だった場所だ。
古くて少し高い建物には、当たり前のように弾痕が残っており
傷跡がまだ生々しい。

ユーゴで1番復興が遅れてる?ような感じだった。

観光地と言っても、第1次世界大戦の火蓋を切ったサラエヴォ事件の
発祥地の橋だったり、サラエヴォオリンピック会場といっても
その周囲はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争戦没者の墓で埋め尽くされて
いたり、そこを通れば女性も子供も撃たれた通称スナイパー通りだったり・・・。
なんかこうパッとした明るさとか荘厳さとか華やかさとかは皆無で
くら~いイメージだけが漂う。
でもサラエヴォ市内にはまるで金沢かって感じの城下町風情があったり
するのである。
ヨーロッパで石造りの建物に見慣れた僕達にはその木造の建物は
とても懐かしくもあり暖かく感じた。
まるで縁側みたいなとこに座って卓袱台で観光客がお茶を飲んでるような
景観になってました。
クロアチア→スロベニア→セルビア→ボスニア・ヘルツェゴビナ
ときたら、次はモンテネグロです。


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