2010年11月20日土曜日

ユーゴスラビア紀行(クロアチア、スロベニア編)


イタリアに別れを告げ、バーリからフェリーでクロアチアのドゥブルヴニクに向かった。
後で知ったのだが、就航しているのは10月末までで
11月になると就航しておらず、イタリアからクロアチアへは
渡れないらしい。僕らはギリギリ渡ることができた。
朝、フェリーがドゥブルヴニクに到着し、宿を探し始めた。
宿を探すと言っても、予約済みなので本来探すほどでもない。
が、今回予約した宿の情報を記録しておくのを忘れたばっかりに
えらい目にあった。
住所も連絡先もわからず、宿の名前だけがわかっているのみ。
とりあえず人に聞いてみたのだが、これが悪かった。
しっかりコミュニケーションできないままに、なんとなく聞いた場所を
探し、いつまでたっても見つからない。
ドゥブルヴニクは海に面して斜面となっており、やたらと坂道が多い。
そして、野良電波もみつからない。
とうとう6時間も経ち、仕方なくWiFiが使えるネットカフェに行き
有料でアクセスして宿の位置を再確認することができた。

宿は看板も出していなければ、表札に名前すらなかった。
けっこうこの手の宿は多い。
特にバルカン半島あたりは、ソベと言われる民宿スタイルも多い。
宿に着くとその家族の父さん母さんお姉さんの熱烈な歓迎を受けた。
しかもその家に植えてあるミカンを摘んできてくれて
「フリーマンダリンだ」と言われ、ウェルカムティーやお菓子も
出してもらった。
この家の離の一部屋を借りるというスタイルで夜は正直寒かったが
なかなか過ごしやすい宿だった。

夜行バスで首都ザクレブへ行き、さらにバスを乗り換え
プリトヴィツェ湖群国立公園へ日帰りを試みた。
滝や湖の水の豊富さは、生命というものをとても感じた。
それと自然な自然景観がとても良かった。
ややこしい言い回しだが、日本のような至れり尽くせりの整備をしてないのが良かったのだ。
ザクレブには宿泊せず、スロベニアのリブリャーナへ。
シュコツィアン鍾乳洞へは雨の中を1時間近く歩いて向かった。
ここでも地底湖の水の勢いや鍾乳石の神秘さに心打たれた。

スロベニアのリブリャーニャの思い出と言えば宿での話だ。
僕らの部屋は4人ドミトリーで僕らがチェックインする前から
牢名主のようなおっさんが一人いて、僕らが入り
翌日若い男子が入ってきた。
牢名主のおっちゃんはベッド横に靴を5足も並べているような人だ。
チェックアウトの日にその若い男子もチェックアウトらしかったのだが
その男に声をかけられた。
「寝ている間に誰かに財布を盗まれた。20ユーロ助けてください。」って。
残念ながら信用できず助けることはしなかった。
大体寝ている間に財布をポケットから盗まれるなんてあるんだろうか?
あるならば、犯人は僕らか牢名主だけである。


そしてもうひとつの思い出は、セルビアのベオグラード行き夜行バスを予約してたのだが、そのバスが来なかったのである。
バスが遅れることには慣れている。
10時20分発の夜行バスを予約していたのだが
30分経っても1時間たっても、深夜12時を過ぎても
バスがいっこうにこないのである。
結局3時間経った深夜1時半頃、バス会社の人間が
バスターミナルにやって来て、「バスは来ない。理由はわからない。」と。
寒空の中で鼻を垂らして3時間。今から宿も探せないし・・・。

忘れもしない深夜1時59分のクロアチアのザクレブ行きの電車に乗る。
バスチケットはバス会社のおっさんに払い戻ししてもらった。
ザグレブで朝方のベオグラード行き電車を待ち乗り換えて
なんとかベオグラードへ到着した。
切符は乗り込んでから買わざるを得ず、スロベニアで1枚、クロアチアで1枚、セルビアで1枚と3回国境までの分だけを買わされたので、予約して買うよりも微妙に高くついてしまった。

そんな冴えない旧ユーゴスラビアの始まりである。

とにかく寒いので、ひたすら南下するのみのユーゴ旅。


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