2010年10月10日日曜日

初めて来たアフリカ大陸、モロッコ

アフリカ大陸に渡る前夜は、トレドのバルで
トルティージャやガスパッチョをいただきながら
シェリー酒で心地良くなっていた。

翌日トレドからアグレシラスへバスで1時間ちょっと。
そしてフェリーで1時間。
さらにバスで1時間弱でモロッコのタンジェに到着した。
もうここは完全なるイスラム世界。
早速食べた早めの夕飯は、昨夜とは打って変わって
モロッコ料理である。
もちろんイスラム圏では酒というものは売っていない。

それでもひたすら探して見つけてしまうのが
酒飲みというものである。
そこらへんの商店にいくら聞いても、ビールはおいてない。 
食堂やレストランの類でもなかなかないのだが
通りかかったレストランにおいてあった。
後で精算してびっくりしたが、モロッコサラダと
モロッコスープが180円。ビール1杯が250円。
輸入品であるビールは高いのである。
さらに高いビールで肝を冷やして
どこか売ってないものかと探すとありました。
ここでは一番安いビール500mlで110円。
モロッコではレストランで清涼飲料水やビールは
やめておこうとルールを決めた。

モロッコに来る前に、インターネットで情報を集めると
「二度と行きたくない」とか「できれば通過することをお勧めします」
など酷評が多く、客引きがうるさかったり、偽ガイドの類が
多く騙されたりと、さんざんなイメージである。
僕の頭の中では、インドとどっちが凄いかな?
と戦闘態勢になっていた。
ところが、みんなフレンドリーだし客引きはほとんどいないし。
日本人観光客が多いのか、客引き以外の人や子供も
「ありがとう」「さようなら」何故か「頑張れ」と日本語で
あいさつしてくる。

市場やメディナと言われる、昔は敵が迷うように作った迷路のような
街で喜んで迷子になってみた。
本当に出られなくなる。気がつくと同じ場所に出てきたり。
迷路を楽しんで本当に帰りたくなったので、高校生位の少年を捕まえて
グランドモスクはどっち?と聞くと教えてくれ
後で心配になったのか、追っかけてきてグランドモスクまで
案内してくれた。
僕らの戦闘態勢は、すっかり拍子抜けであった。
きっとこの数年で、モロッコも変わったのだろう。
世界はアッというスピードで変化し続けている。
もはやブログで目にする情報は、古過ぎるのかもしれない。

これから深夜バスでカサブランカで乗り継ぎ内陸部のマラケシュへ向かう。


おいおい、試飲させてよ


シェリーといえばヘレス。ヘレスというばシェリー。
と言われるくらいシェリー酒はヘレスなのである。

当然ながらシェリー酒を作っているボッテガ(製造所)に行って
見学したいじゃないですか。もち試飲も。

ってことで行ってきましたボッテガ見学。
しかし、当然ながら英語での説明に僕らはハテナの連続。
何の説明受けてもチンプンカンプン。
ガイドさんのジョークにみんなが笑っても僕らはムッツリしているわけである。
ガイドさんには「まったく東洋人はジョークもわからないんだからっ、プン!」と思われているだろう。
それでも皇太子さんの樽があったのだけはわかったよ。

で、やはり目的は試飲である。
これは説明というよりも、感じるだけだから分かりやすい。

いざ、試飲。
が、出てきたのは「TIO PEPE」のドライシェリーだけ。
なんでなんで?ショップでも試飲はできない。
飲み比べもできないじゃないか。
誠にもって不満満タンである。
仕方ないので、試飲用に出てきて残ったボトルごと
持って帰った。

不満充満でやりきれず、街に出てシェリーを試飲と言いつつ
飲み歩く僕らであった。


また来たよセビージャ


3年ぶりか。セビージャにやってきた。
大好きな街のひとつだ。
ここに滞在するというだけで、心地いい。
空は青いし、空気はカラッとしている。
バルでは美味いタパスと旨い酒。
そしてフラメンコ。
一番好きなのは、スペイン最大のセビージャ大聖堂だ。

神社仏閣も好きなのだが、この大聖堂を見てから
教会というものを訪ねるのが好きになってしまった。
教会によって、華やかで優雅だったり、厳格で重かったり
圧倒されたり、落ち着かされたり。
教会には絵画や彫像、そしてフレスコ画やステンドグラス。
それぞれ教会によって変化に富み楽しめる。

僕にとって新しい楽しみを与えてくれたのが
セビージャ大聖堂なのだ。

そのセビージャ大聖堂を再び訪れると
やはりその空気に圧倒された。そしてだんだん気持ちが静まってくる。
聖堂内にあるコロンブスのお墓に「今後も良き旅を続けられますように」と。

このスペイン最大の大聖堂も、元々はイスラム教のモスクを改築したものだったのだ。
偶像崇拝を禁止するイスラム教の人からすると、モスクを改築した後のキリストやマリアの彫像やレリーフは耐え難いものがあるのではないだろうか?


フラメンコは前回も行った、チャージ料のいらないドリンクのみで
見ることのできるタブラオへ。
今回は近場の白い村で有名なアルコス・デ・ラ・フロンテーラや
ユダヤ人街やメスキータで有名なコルドバにも足を伸ばした。

セビージャも先回来た時と違っていたのが
川沿いのツーリストインフォメーションが閉鎖になっていたのと
コルドバ行きのバスが先回は南のバスターミナルだったのが
北のバスターミナルに変わっていた。
セビージャに行かれる方は、お気をつけ下され。






西の最果て、取り残されたポルトガル

サンセバスティアンを後にし、サンティアゴで2泊して
西の最果てのポルトガルはリスボアにやってきた。
キリスト教三大聖地でもあるサンティアゴは
スペインの東から歩きやら自転車やら巡礼者が押し寄せる。
その割には全然観光化されていない街で、全てが古い。

ヨーロッパの各都市を周遊して旧市街などを見てきたが
どこも古くちゃんと手入れされ美しさを保っていたが
サンティアゴという街は、ただ古いだけ。といった風情で
壊れたら壊れっぱなし。塗装しなおしたり修繕したりといった
メンテナンスをしていない古さ。古いまんまなのである。

そしてリスボアにもそれと同じものを感じた。

ユーラシアの最果てであるポルトガルは、大航海時代に
全盛期を終えてしまい、その後の近代化にすっかり
取り残されてしまったような街だった。
街を走る車はもちろん最新車も走っているが、図鑑でしか
見ることのできないような車が現役で走ってる。
トラムも内装は木材、ボディは鉄板一枚で内壁に膝を当てて
外から鉄板を打つと膝に直接響く。
この街は他のヨーロッパとは異なり、スペインのアンダルシアと同じく
イスラム色も強い。さらにはブラジル人も多いらしく多国籍だ。

大変だったのは、道が覚えにくいというか、宿でもらった
ツーリスト用のマップが分かりにくいことだった。
マップ上のツーリストインフォメーションのマークである「i」が
でか過ぎて、その周辺に行ってもどこだかわからない始末であった。
さらに坂が多く曲がりくねっているので迷いやすい。
道理でこの国の車は小型車ばかりなわけだ。

天気を見計らってロカ岬へ出かけた。
ユーラシア大陸最西端である。
極東の果ての島国から船と陸路でバカバカしくもよくやって来たものである。

リスボア名物いわしの炭焼きも食べた。ファドも聞いた。(はしごして2軒目で寝たが)


バカバカしい旅は、これから東へと続いていく予定である。




2010年9月26日日曜日

来る日も来る日もピンチョス

ピンチョスはスペインを代表するタパスの原型。
とにかく美味いし安いし楽しい。
そんなピンチョスを楽しめるのはサンセバスティアン。
バスク地方で最も賑わってる観光地。
空も海も青い。

旧市街に並ぶバルを覗くと、カウンターには大皿の上に
ピンチョスがズラリと並ぶ。
これ、言葉が不自由な旅人にとっては、指差しするだけでいいから
ありがたい。
しかも清算方法が独特というか、商売の原点というか
客側の自己申告なのである。
つまり、「ピンチョス3個とビール(セルベッサ)1杯」と言えば良いのである。
そして数杯飲んで数品のピンチョスを食べては、次の店に
ハシゴするのがサンセバスティアンのスタイル。
僕らも毎日三軒を限度にハシゴした。
ピンチョスの具材のコンビネーションも絶妙なのだが
その具財は豪華。
フォアグラ、ムール貝、ウナギの稚魚、鴨、生ハム、ゴルゴンゾーラ、キャビアなど。
店によって置いてある所ない所があり、特徴が分かれる。

ピンチョスばかりがサンセバスティアンではない。
イカの墨煮やバカラオ(タラ)の煮込みも名物でこれらもまたお酒が進む。
お酒といえばサンセバスティアンではチャコリだ。
チャコリは発泡性の白ワインでスッキリとしてピンチョスとの相性は抜群。
注ぐときは高いところから注いで泡立てるのが普通。
二人で二杯飲んで四品頼んで、だいたい12ユーロ(1300円くらい)。
3軒回って二人で4000円くらい。
ちょっとづつ色んな味を楽しめるのがイイ。

そんなこんなで、朝ごはんはクッキーをかじり、昼ごはんはフランスパンに
ハムを挟んだり、ピクルスやオリーブの瓶詰めを食べたりと節約戦闘態勢の毎日でした。

美食三昧の南フランス(ボルドー・バイヨンヌ)



アムステルダムを発ち、パリで電車を乗り換え、ワインの名産地の
ボルドーへやってきた。

今まで夏のはずなのに寒かったヨーロッパの街々だが
ここまで南に来るとさすがに暖かい。
青空も突き抜けるように青い。蒼天だ。
ってことで?ワインのシャトー(生産所)巡りのオプショナルツアーに
参加することにした。
残念ながら日程的に白の甘口ワインのツアーにしか参加できなかった。

ツアーはバスで3つのシャトーを巡り、ガイドやその生産所の方からの説明を聞くことが出来(フランス語と英語なので、さっぱりわからん)、各シャトーでは試飲ができる。

1996年産あたりのワインになってくると、風味がワインというよりはコニャックのような重みのある芳醇な香りで驚き。
どうせサンドウィッチとかだろと期待してなかったランチタイム。
スモークサーモン一人一皿、鴨のステーキ、チーズ、デザートと。
もちろん白ワインに赤ワインにと楽しんだ。

結構高いお値段だったのだが、まずまずのパフォーマンスで満足。


ボルドーと言えば海鮮もグー。牡蠣もグー。
ってことで、海鮮盛りに追い打ちの生牡蠣。
濃厚な海鮮スープはブイヤベースのようで美味。
さらにボルドーで有名なお菓子はカヌレ。
パリでも食べたけど、美味しい。
焼いたその日に食べるのと、次の日食べるのと
もう一日置くので、食感が変わるので好みによるが
僕は次の日に食べるのが美味しかった。
更に南のバスク地方のバイヨンヌ。
有名なのはバイヨンヌ産生ハム。
そしてここも牡蠣なのよねー。(隣街のビアリッツはフォアグラの産地)
ここまで来たら当然スペイン側のバスク地方の
サンセバスティアンに行くのは必至。

美食紀行はまだまだ続く。

日記を綴ってミリオンセラーでサクセス

数週間前のアムステルダム。
自由を感じる街だった。

人はリトルニューヨークとも言うらしく
またニューヨークを作ったのはアムステルダムの人々だとも聞いた。

アムステルダムには自由があちこちに見られるし
感じることができるのだ。

マリファナや売春は合法で街のあちこちからマリファナの臭いがし
飾り窓と言われるショーウィンドウには下着のお姉さん達が
通りの男たちに愛想を振りまき、カジノも街の景色を作っている。

どう見てもラリってる男がヘラヘラした顔で歩いている横を
地元の人は気にもせずに、仕事をしたり生活したりしている。

アムステルダムの宿に到着した日、相方と宿の部屋に入ると
5人部屋のドミトリーに既に3人の男がいた。
そして当然のようにマリファナの匂いがプンプンする。
一人は確実に決まってしまっている(ラリってる)。
こりゃエラい洗礼じゃの~と思いつつ
正直、心のなかで「こら、困ったなぁ。相方のセキュリティが不安だ。」、
と思いつつも宿のオーナーは日本人女性なので、気を効かせてくれ
ウチらを別の部屋に変えてくれた。
なんだか猛獣だらけの檻から出された気分だった。

宿のオーナーはバリなどにも一時期住んでいたことがあるとのことで
バックパッカーの気持ちを良く理解してくれている
とても明るく頼もしいお姉さまだった。
また夜のスタッフ、ミッシェルもとてもお茶目で明るい。
この明るさがないと、きっとアムステルダムの宿は切り盛りできないのだろう。

ってことで、何事も試してみないと気が済まない僕は
マリファナを吸いに出かけた。
どこで手に入れるかというと、アムステルダムでは
「cafe」は純然たるカフェで「coffee shop」がマリファナを提供する場所らしく、コーヒーそのものの値段はカフェと変わらない。

そのcoffee shopに入ってコーヒーやらドリンクを飲むだけもよし。
ドラッグを買って楽しむのもよし。
コーヒー 2ユーロ。
マリファナ 3.75ユーロ(1本)

ちなみに20種類くらい色々あったが、よくわからないので
ビギナー用みたいなのを選んだ。

タバコを吸い込む要領で数服してもあまり変化がないので
深呼吸するように吸い込み息を止めること何回かしてみた。

あっという間に回ってきて、酒に深く酔ったような気怠い倦怠感が襲ってきた。
一応、保険的に相方には面と向かって僕を観察してもらうことにしていた。

視覚と聴覚が普段と違う。表現が難しい。
自分の動きもかなり遅かったりする。
言語も呂律が回ってない。

と、思っていたのだが、相方に聞くと、普段どおり全然普通とのことだった。
確かに話すことは理路整然と話しているし。
自分で自分の感覚だけが、緩慢だったり記憶が断片的というか
瞬きの感覚が長く感じたりして、短い時間が長々と感じたりして
時間の感覚がかなり乱れた。

あまりにも回ったので、1本の半分以上は持って帰った。

翌日は昼に運河脇でランチの後に一服してみた。
日本では違法なことを、青空の下でプハーっとやるのは気持ちがよかった。
昼間っから酒も飲まずにほろ酔い気分を楽しむ。

そしてまだ、余ったがオランダから持ち出すわけにもいかず、
それほど気に入ったわけでもないので、廃棄。


こうやって、旅の行方を飛び飛びであるが日記のように
つけているが、このアムステルダムで日記を書き続けて
ミリオンセラーというか世界的に有名な著者になったのが
アンネ・フランク。「アンネの日記」だ。

アンネが隠れていた建物の見学に行ってきたけど
外から見たら、「こんなイイとこに住んでたんかいな」と
思ってしまうような建物だった。
アンネの身長の記録を壁に書き留めた痕が生々しかった。
アンネはサクセスどころか、誰かに密告されアウシュビッツ収容所に
送られて殺されてしまったのであるが。

僕はこんな日記をいつまで書き続けようか。。。

2010年9月2日木曜日

とにかくビールが多い

とにかくビールが多い

ベルギーは世界三大ガッカリで有名な小便小僧があって
期待通りのガッカリで、さして他に観光名所があるわけでもない。

しかしながら名物は結構多いのがベルギーなのである。
例えばワッフルだったりチョコレートだったりマカロンも美味しいらしい。
でもやはり、ビールなのだ。

ビールの専門店があり、常時250種類ものビールが置いてある。
ベルギーのビールは330mlの小瓶で売られており
なんでもベルギー人は冷えたビールが好きで、温くなるのを嫌い
小瓶で販売しているらしい。
その小瓶で1.5ユーロくらいから売っている。
もちろん発泡酒などではない。
250種類もあって本当に味が違うのだろうかと、調査してみた。
やはりこれは試調査しないとダメでしょう。
と、飲む飲む。呑む呑む。
やはりそれぞれ特徴があってピルスナータイプやエールタイプでも
それぞれ濃さや苦味が違い、スパイシーだったり。
またチェリービールやベリービールなどの甘いビールもたくさんある。
これは女性に受けるだろう味でついつい飲み過ぎそうだ。
と、日帰りでルクセンブルクにまで足を伸ばしつつ
脱線してこちらでもルクセンブルク産のビールを調査してみた。
調査している意味がよくわかりませんが。
ルクセンブルクも観光名所も名産もあまりないようですが
世界遺産になってる城壁は、今まで見てきたヨーロッパの景色とは
ひと味違い、ルパン三世カリオストロの城を思わせる雰囲気は
なかなか見ていて飽きませんでした。
いや飽きて帰ってきました。

2010年9月1日水曜日

もうひとつの移動方法

もうひとつの移動方法

この2週間どこにいても、ずっと曇りか雨ばかりの天気だが
モン・サン・ミシェルで1日は奇跡的に晴れ上がった。
どうやらモン・サン・ミシェルのあたりの地方は、いつでも雨が多い地域らしい。

その次の日、相方が「ライトアップされたモン・サン・ミシェルを観たい」と。
ってことで、夜にモン・サン・ミシェルに行くことにした。
フランスの日没は午後9時過ぎで、モン・サン・ミシェルから宿へ向けた帰りのバスの最終便は8時40分。帰りの足が無い。
距離にして9キロ。徒歩で2時間前後だろうか。

電車、バス、フェリー、飛行機、トラム、タクシーと色々乗ってきたが
ここには何も無い。何しろこのポントルソンという街は凄い田舎なのである。
カルフールがあるが、7時半には閉まってしまい近所のショップも飲食店を除いて閉店である。夕暮れ前にである。

そこでレンタルサイクルを探そうということになった。

が、宿のマダムに聞くとこの街には「私が知る限りは、無い」とのことである。更には知り合いやキャンプ場など何箇所かに電話をしてくれ、やっと自転車2台を借りれることになった。
けど、「今夜の9時半には返してくれ」というのである。

それでは、モン・サン・ミシェルの夜景は見ることができない。
そのライトアップされたモン・サン・ミシェルを観たい旨を説明をしたらマダムがそれならと自転車以外の方法を伝授してくれた。

それは手をグーにして親指を立てるポーズで説明された。
そして「これがベストの方法だ!」と。
そっか~ヒッチハイクか~。と爆笑した。
マダムも伝わったのがわかって爆笑。

モン・サン・ミシェルへはバスで。帰りはヒッチハイクでという方法が決まった。

その日の昼間、偶然ポントルソンを散策していると二人の少年がレンヌ行きのヒッチハイクを試みている姿を目撃してしまった。
レンヌまでは車で2時間ほど。無茶だなぁ~と思いつつ心のなかで応援してみた。

夕食を終え、持参してたスケッチブックが初めて役に立つことに喜びを感じる。スケッチブックに極太のマジックペンで「PONTRSON」と書く。
そしてモン・サン・ミシェル行きの最終バスに乗るべく定刻3分前の9時27分にバス停に到着した。
しかし、定刻になっても10分待っても結局30分経ってもバスは来ない。
せっかく防寒の準備までしてきたのに、行くことすらできないではないか。

ってことで、行きもヒッチハイクすることに決めました。
スケッチブックに急遽「MONT SAINT MICHEL」と書き、無人のガソリンスタンド前で親指を立てて立ち続ける。
モン・サン・ミシェル行きの車の量よりもモン・サン・ミシェルから帰って来る車の量が多いのに不安を抱きつつ、待つこと15分。
「スペル間違えたかな~?」と思うほど捕まらない。
こんなに帰りの車が多いことを考えると、もしモン・サン・ミシェルに行けたとしても帰りの車がないことを考慮しつつ諦めかけた時、
「シャシュフォショシェシュフォショ?」みたいなフランス語で給油が終わったフランス人男性がスケッチブックを指さし声をかけてきてくれた。
はっきりいってよくわからないが、「メルシーメルシー」とか言って
車に乗せてもらった。

お陰さまでライトアップされたモン・サン・ミシェルを拝むことができました。

帰りはもっと簡単。
5分もしないうちに、マドマーゼルが停まってくれ乗せてくれました。
こういう時、わずか10数分とは言え、英語が喋れないので会話も弾むはずもなく、車内の沈黙は何とも言えないほど、気まずい雰囲気を醸し出します。

しかし、いつでも旅人にやさしいフランス人の方達よ、メルシィー。

もうひとつの移動方法。
またどこかの国で試してみよう。