2011年1月7日金曜日

熱狂イラン

僕らは昨夜の夜行バスで、北のタブリーズからやってきた。
到着したのは朝の6時前で空気は張り詰めており
遠くには雪を被った山々の頂きが見えた。
僕らは寒さのためなかなかバスターミナルから出ることができなかったが
意を決してテヘランの中心部であるエマーム・ホメイニー広場周辺で
宿を探し始めた。
宿を決め、チェックインして荷物を下ろすと、とにかく街を見たくなった。
街は祝日のため街は静かに落ち着いていた。
その静寂さを破ったのは、太鼓のリズムと人々の合唱だった。

このフェスティバルとは、シーア派最重要のお祭りで
エマーム・ホセインの殉教をシーア派の人々が体を自ら痛めつけることで
追体験するということらしい。

初日はアースーターといい、翌日の最大のお祭りはアーシューラーという。
街のあちこちで取っ手のついた鎖で
自らの体を打ちのめしながら唄を歌いながら行進する。
女性たちはその後ろについて行進する。
大人も子供の老いも若きもである。
そして、牛や羊が道端で屠られる。
僕はその光景にビックリした。(エグイので写真は割愛)
ビックリしたのは、別に牛や羊が生贄のために殺されたからではない。
吹出し道路を流れる血が見たことない赤色で、その赤がキレイすぎる。
と思って魅せられている自分を発見してビックリしたのだ。
そしてビックリは他にもある。
僕は、牛の首を切り落とすシーンを写真に収めようとしたけど
ただそれだけでは、面白い絵にはならないと思って
見物に来た子供達が恐れ慄き驚愕する絵をはめ込もうと思って
カメラを構えていざという態勢で待っていた。
が、いざ!となったときに子供たちは驚愕するどころか
笑って見ているし、その姿をデジカメで撮っている女の子までいて
その姿にビックリしてしまった。

その後、さらに僕の価値観が壊されるのを楽しむかのような
光景が目の前に広がる。
最初は牛の解体だった。
首を落とされた牛はまだ生き物が死んだというだけの
塊に過ぎなかった。
その牛という生き物が解体され始めた。
腹の皮をはぐ作業から始まったのだが、調理で鶏肉の皮を剥がしていく
作業と似ていて、皮と肉の間に刃を通していく。
少しずつ牛の表皮である毛皮が剥がれていく。
すると見たことのある牛肉のまだ部位が分かれていない状態に
近づいていく。
その姿を見て、「あ、今まさに生き物が食べ物に変わっていくところ
なんだ!」と理屈では解っているのに、今さらご丁寧に
解説してもらったような感じだった。
この旅で市場をよくフラつくと、皮を剥がれた羊やヤギの生首やら
鶏の頭のストリップ。さらには足だけとか、耳だけとか
見た目にかなりグロい姿を見つつ、あぁ生き物と食べ物に感謝だなぁ、
なんて思ったりしてた。
また、日本は市場が遠ざかり、食品具材は商品としてスーパーで
整然とならんだものを買ってくるから、生き物が食べ物であるという
意識が低い、まるで工業製品かのようで、子供は生き物や食べ物に
感謝するなんてことは希薄になるだろうなぁと思ったり。
色々考えさせられたものだが、そんなことを考えてた僕もガツンと
やられた感じだ。

そして目を奪われたのは、羊の解体だった。
羊毛で覆われた羊の皮剥ぎはどぎつかった。
なんと足の辺りに切り込みを入れると、そこに自転車の空気入れの
ホースの先っぽの針を挿し込み、普通に空気を入れ始めたのだ。
みるみるうちに羊の体はパンパンに膨らんで行く。
目を奪われてポカーンと口を開けてみている僕に向かって
解体をしているオッサンの一人が「テクノロジー」と叫んだ。
僕は我に帰って大笑いをしてしまった。
空気で膨らんだオスのアソコを指さして写真を撮れとか言ってくる。
当たり前だが彼らには別に感傷的なことは全くない。

そんな昔の吉野家の店内よりも殺伐とした光景の後に
炊き出しが振舞われる。
確かに牛肉片が入っていたが、ヤツの肉片なんだろうかと思いながら
食べる弁当はなんだか切ない味がした。

その間、相方は仲良くなった現地の若い女の子に連れられて
モスクでチャイを飲み、弁当を食べ、興味津々のイラン人女性たちに
囲まれて質問攻めにあっていたらしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿