2010年8月3日火曜日

英語ができないということ

英語ができないということ

英語ができなくても旅行には全然困ったりしない。というのはウソになるかもしれないが、ほとんどの場合身振り手振りと少ない英単語で切り抜けられる。大事な部分の単語は大きく言ったり繰り返したり。

これはテクニックだが、列車の切符の予約などはこちらの発音が悪く聞き取ってもらえなかったり、係員の言ってることがわからなかったりするので、僕はいつも前もってメモ帳に日時とどこからどこまでと枚数などを書いて見せる。するとあっという間に切符が買えるのである。

肉屋や惣菜屋では、欲しい食材なんかを指さした後に、メモ帳に予め書いておいた「100g」のメモを店のお姉さんに見せたら、大爆笑され「ナイスナイス」と大受した。

食事だって、他の客のメニューを指さして「セイム、セイム」とか言ったら出てくるもんだし。

と、ま~英語ができないからって別段困り果てたことなどはない。
最近喋ったというか口にした英語は「Yes」「No」「OK」くらいだ。
日本人の留学生に宿で話したとき「英語が喋れないのに放浪してるって、ソッチの方がある意味凄いっすね~」とか言われるし。

というか、旅で困るのは当たり前と開き直っているからかもしれない。



ただ、英語ができないと楽しみが半減してしまうかもしれない。
例えば、博物館系に行った場合だ。美術館系では美術作品を観て感じるだけでも楽しめるので良いし、博物館ではそこのガラスケースに入っている書簡や生活道具やら写真が何を意味するか説明がわからない。日本語で説明が書かれているものは、まず無い。そしてオーディオガイドなどの説明でも日本語の物は少なく、英語を代表とする外国語がわからないと、そこに置いてある靴が写真が制服が何を意味するのかサッパリわからないのである。
ま、美術館のコンテンポラリーアートを観るように勝手に理解して(一方的に決めつけて)楽しむ方法もあるかもしれないが。

そして、せっかくドミトリーという中で全く知らない外国人と共同生活を送るのに、コミュニケーションが取れないのは、かなりの損だと感じる。
酒で仲良くなって言葉少なにコミュニケーションが取れるまでは良いのだが、それ以上の言語コミュニケーションが取れないのは、せっかくの機会を題なしにしているとしか思えない。
色々な価値観や考え方や各国のトレンドや仕組みや文化なんかを直接聞き出すチャンスでもあるはずだ。

聞いてみたいことはたくさん出てくるが。

判りきったことだと思っていたが、
「英語ができないということ」は、自分の世界がある程度までしか広がらないこと、だと実感した。

40の手習い。頑張ってみましょうかね。


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