2010年12月13日月曜日

エルトゥールル号の遭難

秀吉の中国大返しならぬ、中東大返しの強行軍で
その日はバスで11時間かかってカッパドキア(ギョレメ)にやってまいりました。
が!バスは近くのカイセリという町までしかなく
それ以降は、どっか他の都市へ行くバスが途中で降ろしてくれるみたいな
(言葉がわからず)そんな感じで乗ったら、本当に途中の知らない
何も見当たらない道端で下ろされた。

時間は深夜12時過ぎ。温度は0度前後。
右も左もわからない道端に荷物と相方を置き去りにして
とにかく現在地点の確認とギョレメへの行き方を確認するべく
夜道を歩くき最初に目についた人に声をかけた。

トルコ軍の施設らしかった。
道を聞いただけなのだが、その護衛兵は上席に話を通し
僕を事務所に通し、チャイを1杯出してくれた。
話をすると、どうやら現在地点はギョレメまで車で20分ほどらしい。
歩いて行ったら朝になっちゃうよ。車で送るよってことになった。

僕を乗せた軍用車は自動小銃を小脇に抱えた兵士4人が乗り込み出発した。
もちろん僕は後部座席で二人の兵士に挟まれ便乗。
途中で寒さに震え耐え忍ぶ相方を拾う。
最初は、車から出てくる兵士に取り囲まれビビリまくってる相方も
僕の姿を見てほっとする。

無事、トルコ軍の車でギョレメへ到着。
ご苦労であった、トルコ軍兵士達殿。
全員に固い握手を交わして別れた。

トルコ人は、なんでも昔日本の和歌山県沖でトルコ船籍の船が座礁し
寒村の村人が命がけで救助したということがあり、未だにその話が
教科書に載っているらしく、日本びいきの人が多いという話を聞いたことがある。
イランイラク戦争の時にトルコのパイロットが、
颯爽とイランの空港で日本人を乗せて救った話もその恩恵だったんじゃないかと言われてますが、どうでしょうか?



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