2010年12月13日月曜日

カッパドキアはツーリングに限る

天気が良くスクーターを2台借りることにした。
ここカッパドキアは、相方がこの旅で一番来たかった所。
相方は、奇岩好き、地層好きなのである。
スクーターでのツーリングは快適である。
バスなどでは、もっと見たいと思っても、写真を撮りたいと思っても
自由に停まったりできないが、スクーターなら好きな場所で
停まって、写真をとり、眺め、ほっつき歩き、また走れる。

ただ、このカッパドキア、景色が面白すぎてしょっちゅう停まってばかり。
ちょっと走っては停まって、停まっては走っての繰り返し。
でも、やはりスクーターでよかったと思う。満足行くほど
奇岩に熱中できたからだ。
奇岩などの景色に囲まれていると、自然の成せる技なのに
あまりにも不自然で不思議な感じだ。
それで、ずっとずっと見てしまう。どの方角を見ても面白くて
興味が尽きない。しかも洞窟も入れて子供なんか絶対はしゃぐに違いない。
いや大人の僕がはしゃいでた。

色々世界遺産とか見てきたけど、やはり自然の方が面白い。
歴史的背景とか理屈とか抜きで、面白い。
見ていて面白いんだから仕方ない。直接的に感じるんだ。

結局丸々2日間スクーターでカッパドキアを巡回した。
そのうち日本国内を相方とスクーターで旅でもしよっかなと
考えてたので、予行練習になってよかったでありますよ。



エルトゥールル号の遭難

秀吉の中国大返しならぬ、中東大返しの強行軍で
その日はバスで11時間かかってカッパドキア(ギョレメ)にやってまいりました。
が!バスは近くのカイセリという町までしかなく
それ以降は、どっか他の都市へ行くバスが途中で降ろしてくれるみたいな
(言葉がわからず)そんな感じで乗ったら、本当に途中の知らない
何も見当たらない道端で下ろされた。

時間は深夜12時過ぎ。温度は0度前後。
右も左もわからない道端に荷物と相方を置き去りにして
とにかく現在地点の確認とギョレメへの行き方を確認するべく
夜道を歩くき最初に目についた人に声をかけた。

トルコ軍の施設らしかった。
道を聞いただけなのだが、その護衛兵は上席に話を通し
僕を事務所に通し、チャイを1杯出してくれた。
話をすると、どうやら現在地点はギョレメまで車で20分ほどらしい。
歩いて行ったら朝になっちゃうよ。車で送るよってことになった。

僕を乗せた軍用車は自動小銃を小脇に抱えた兵士4人が乗り込み出発した。
もちろん僕は後部座席で二人の兵士に挟まれ便乗。
途中で寒さに震え耐え忍ぶ相方を拾う。
最初は、車から出てくる兵士に取り囲まれビビリまくってる相方も
僕の姿を見てほっとする。

無事、トルコ軍の車でギョレメへ到着。
ご苦労であった、トルコ軍兵士達殿。
全員に固い握手を交わして別れた。

トルコ人は、なんでも昔日本の和歌山県沖でトルコ船籍の船が座礁し
寒村の村人が命がけで救助したということがあり、未だにその話が
教科書に載っているらしく、日本びいきの人が多いという話を聞いたことがある。
イランイラク戦争の時にトルコのパイロットが、
颯爽とイランの空港で日本人を乗せて救った話もその恩恵だったんじゃないかと言われてますが、どうでしょうか?



2010年12月12日日曜日

死海で浮き、スイーツに沈む

死海では、みごとに浮かんだ。浮かび過ぎるとバタ足すら泳ぎにくい。
頭では知っていても、体験すると不思議な気分だ。
こんなレジャーランドが日本に一つくらい作ってみても面白いのでは。
なかなかこんな浮遊体験はできないし、気持ちいいし。
ただ、長い時間水に浸ってられないのがミソなのだが。
何しろ塩分濃度がきつすぎるので、水が眼に入るだけで激痛。
もちろん髭剃り後に入れば、これもヒリヒリである。
さらに男子は長時間浸かっているとアソコがヒリヒリになるのだ。
そしてもうひとつの泥パックも試してみたが、特にスベスベになるでもなく
洗い落としたあとは、体の脂分を全て吸われてしまってカサカサに
なってしまった。


宿はヨルダンのアンマンに。
有名なマンスールホテル。別名コウダホテル。
日本人が多く宿泊し、日本人に対してとても手厚いサービスを
提供してくれる宿で有名だ。
宿のスタッフの番長格のロワイさんが、その手厚いサービス提供の
最右翼である。
そのロワイさんはfacebookで毎日シリアやイスラエルなどとの国境情報を
書きこんでくれている。例えば「本日トルコからシリアを通過してヨルダンに2名の日本人来る」的な。

ま、この宿の詳しい話は、僕の相方のブログを読んでくださいな。
http://40s-backpaccouple.blogspot.com/
このコウダホテル、旅人なら知ってますが一般の人は知らないはず。
「コウダ」とは旅の途中にイラクで殺害されたあの「コウダ」さんのこと。
そのコウダさんが最後に宿泊したのが、このホテルだったのだ。

アンマンでは、街中をフラフラと歩きつつも特に目ぼしい観光資源も
見当たらず、ペトラ遺跡は遠いのにもまして、入場料が値上がりして
一人6000円もすることになって、資金が乏しい僕らは諦めた。
そんな僕らは時間を潰すのにワヒダットキャンプと言われる
元パレスチナ難民キャンプがあった場所にあるマーケットに行ってみた。
アンマンのセントラルから少し離れただけなのだが、観光客が
少ないためか、なんともみんな人懐っこい。
そして、子どもがよく働いている。

みんなが写真を撮ってくれとうるさい。ほっておくと強引に凶暴化してくる。
カメラのストラップまで引っ張られる自体にまでなった。
おいおい、やりすぎだってば。

このワヒダットキャンプからの帰りに、偶然青年海外協力隊の青年に会った。
近所の学校で体育を教えているらしく、2年勤務でこの地に来ている。
やはり言葉の壁には相当苦労したらしく、またアジア人ということもあって
かなり軽く見られたりと苦労が多いらしい。
彼も学生時代はバックパッカーだったらしい。
短いバスの中での会話だけだったが、バスを下車したあと
「昨日カレー作ったんで家に来ませんか?」と軽く誘ってくれた。
誘いに軽く乗ったのだが、約束があるのを思い出して丁重にお断りした。

あ、食べ物の話っすか?
ワヒダットキャンプでは、屋台で杏仁豆腐のような淡い甘みのプリンみたいな
重たくないスイーツをいただきました。

それとアンマンでは有名らしいですがホテルマンスール近くのお店で
食べたスイーツは、めちゃくちゃ美味かった。
トルコやシリアでも似たようなのを見かけたが、ここがマジうまい!
二種類あったが両方チョイスし、食べたこと無い方もメチャうまっ!
是非食べてほしいっす。
おっさんたちも大絶賛で道端で食べてる。
僕、中東に入ってから糖分摂り過ぎです。スイーツもチャイ(小さなコップに角砂糖3個入れてます)も
美味いんです。

気をつけます。

2010年12月11日土曜日

イスラエル 学ぶ

シリアからヨルダンのアンマンに到着したのは夜。
その翌日早朝には、宿に荷物だけ置いて、イスラエルへ。

宗教に興味がある人なら是非行かなければ、行きたくなるのが
エルサレムですね。
僕はほとんど興味ありませんし、観光地をレポートしても仕方ないので
かなり割愛。

もちろん嘆きの壁やら聖墳墓教会、ダビデの墓、最後の晩餐の部屋やら。

さらに毎週金曜に行われる、ヴィア・ドロローサ。
これはイエスが死刑の判決を受け、十字架を背負い処刑された場所までの
約1キロを今も行列が練り歩き、途中でイエスの身に起こったことを
読み上げたり歌を歌ったりする。

僕は全然違うものに興味をしるし、パレスチナ自治区に向かった。
ここにもイエスが生まれた祠があったりするのだが、ここではなく
壁が見たかった。

人を分け隔てている、ユダヤ人が作った馬鹿馬鹿しい壁を。

同じ国でありながら、とてつもない高い壁が走っている。
ベルリンの壁よりも高い。

戦時中、ドイツであれだけ打ちのめされた彼らは、戦後の
ドイツの壁を見て、何を学んだのだろうか?

エルサレムでは行きたいとこが、もう一箇所あった。
それはイブラヒムさんのピースハウスだ。
これはモロッコのメルズーカで出会った旅人に教えてもらった。
手書きで地図まで書いてもらったのだが、その時は笑った。
なぜなら、その地図にあるポイントは三箇所。
「ゴミ箱」「学校」「Mという字の壁の落書き」だけだからだ。
が、この地図ですぐにわかった。

周辺は一目で治安が悪そう。
「ゴミが散らかってる」「路上駐車が多い」「落書きが多い」という
治安が悪くなる三要素を兼ね備えているから。

ここに一泊した。ここは寄付金だけで成り立っている。
イブラヒムさんという爺さんは、世界平和のために
国を超え、宗教を超え、平和活動や支援を行っている人。
とても気さくで気のいい爺ちゃんて感じでした。

ここでイブラヒムの爺さんは、とにかくメシを食わせる。

メチャ大盛りのご飯をいただいた後、1時間も経たないうちに
「eat! eat!」と、食べることを催促する。そして笑う。
違う料理が出てきたりするので、何とか食べて腹8分を超え
満腹になる。

それでも、また「eat! eat!」と。
ここで僕は、食べれる幸せということを再認識させられたような気がする。
腹いっぱい食べて、さらに食べられる幸せ。
もう満腹で食べられない苦しさイコール幸せ。
なんだか身をもって体験させられているような気がした。
そんな狙いはイブラヒムさんにはないのだろうが。あるのかな?

旅ではいろんなことを学ばせられます。

忘れられないシリアの日々

シリアの人たちは人懐っこい。
イスラムの人たちは写真を撮るなと拒否することが多いが
ダマスカスでは「撮ってくれ」と寄ってきたりする。
これは時代の変化というよりは、携帯電話の普及により
デジカメで写真を撮ることが日常的習慣になってきたからではないだろうか。

人については前回も書いたとおり、とにかく親切なのである。
これは、まず忘れられない。

では、食べ物はどうよ?
実は二度と食べたくないものに当たった。
地元の人しか通らないような商店街で見つけたお店。
店先には羊の頭のストリップが整然と並べられている。
面白そうだから入ってみた。
注文の仕方がわからなかったので、ある程度店の人に任せた。
スープはいるか?と。肉を鍋で炊いたまるで豚骨スープみたいなもの。
これは食べたいと思って頼んだ。
これがまずかった。というか、その獣臭たるや。
羊肉は大好きで、その獣臭も含めて好きだったのだが、これはキツイ。
味も塩気が少ないうえに、何故か酸味がキツイ。
2杯注文しないでよかった~。
大概のものは食べられるが、これだけは二度と注文したくない。
忘れられない。
ちなみに手づかみで食べる肉類(どこの部位か不明)とパンはなかなか。

この国のスイーツはなかなか美味い。
何しろピスタチオが安いのか、トッピングに結構使っているのだ。
僕はピスタチオが大好き。
スポンジケーキの下に塩気の少ないチーズがあり、蜂蜜をヒタヒタに
なるくらいかけて食べる。
しつこくない甘さとチーズのまろやかさと塩気が丁度いい具合なのだ。
このスイーツを地元のおっさん達が並んで食べるのである。

アイスもみんな食べ歩き。ピスタチオがこれでもかってくらい
トッピングされているのである。
B級グルメに入らないくらい、チープで露店の食べ物はコーン。
茹でトウモロコシはイスタンブールでも露店で盛んに売られているが
シリアのはちょっと違う。
茹でトウモロコシの実の部分だけその場で削いで
それをステンレスの鉄板の上でバターとマヨネーズとスパイスで
和えるのである。これ、意外と美味い。

この他に意外だったのは、パンもしっかり美味かった。
そしてもちろんケバブも。チキンもキョウフテも。
持ち帰りでもちゃんと、ハーブ(西洋パセリやミント)と大根や
カブのスライスとレモンと青唐辛子が別袋についてくるんです。
しかも、わんさと。

下町を歩いていると、手工業の現場を見ることができた。
何を作るのも手仕事である。
鍛冶屋さんもあった。
金属を叩く小気味のよい音とリズムと飛び散る火花。
肉体を使ってモノを作り出す姿はとても見ていて気持ちがいい。
美しくもある。
しかし、資本主義社会というシステムの中ではいつかは消えてなくなるだろう。
生産コストを安くするため、人件費の安い生産地での製造、
そして合理化機械化による手仕事の消滅。
そして失業問題を抱えることになる。人間て何やってんだ?
いつも忘れてはならない。

シリアでは、パルミラ遺跡に行ってきた。
ここの夕日はとても柔らかかった。
シリアだけではないのだが、ヨルダンでもイスラエルでも
とにかくアラブで見た夕日は美しかった。
アラブに行ったら夕日を見よ!である。
忘れないでね。

僕はまたこのシリアに行きたい。忘れない。