帰国して1週間が経った。
普段の生活に戻ろうとする力と、冷静に先を見ながら暫くは普段の生活に戻らないように
しようとする力がぶつかり合っている。
旅をしていて何かに直面すると、日本人の考え方で日本の常識的発想、
そして自分の脆弱な価値観で直面したことに対峙する。
その考え方や常識や価値観で、直面したことが、YESなのかNOなのか
常識的なのか非常識なのかなどを判断するが、旅を続けていくと
そんな判断の仕方はしなくなる。
日本人の考え方や常識や自分の価値観という尺度で世界を測るバカバカしさに
自然と気がついて体が慣れていくからなのかも知れない。
旅をしていて直面することに対して疑問はもちろん感じるが
まずは受け入れてしまってから、自分はどうなんだろう?とか
日本では何で違うんだろう?とか考えさせられるという風に変わっていった。
その考えさせられるというのは、例えば「こんな働き方でいいんだろうか?」とか
「他のアジア人は英語が堪能だけどなんで日本人は全然ダメなんだろう?」とか
「長生きって必要なんだろうか?」「食べ物とか人の生死に関する教育って必要ないんだろうか?」とか
「日本人にとって宗教っていらないんだろうか?」とか・・・答えを出せない問題が
取り留めなく沸いて来る。
沸いた疑問のうち、日本に帰ってくるなり飛び込んできたニュースは
食中毒問題だった。
僕らは日本の常識からいうと、とんでもなく不衛生な環境で
毎日の食事を摂り、生活をしていた。
屋台などでは、水そのものが衛生的かどうかが疑わしい。
そしてその水で料理し、皿やスプーンを洗う。
その皿やスプーンを拭き取るフキンは見るからに雑巾だったりする。
食材を切る刃物にしても、その台にしてもとても衛生的とは思えない。
何よりも、作っているくれている人の手が衛生的なのかどうかが
一番疑わしい場合も多々ある。
インドの屋台で、オムレツをパンに挟んだファーストフード的な食べ物が
安かったので一つ頼んでみたことがある。
屋台のオヤジはガスバーナーを着火しようと思ったが、ガスが切れてしまっていたようで
液化ガスを入れなおし、その油が手についたまま調理を始めた。
今度はフライパンに調理油を入れ、卵を溶いて入れ、焼きあがった
オムレツをパンに乗せた後、それらの油のまみれた手の平で、これでもかと押し付けて
手の油をパンに染み込ませてくれた。
御代はもちろんその手のひらで受け取るのだった。
だが、僕らはお腹も壊さず性懲りもなく翌日もその屋台に向かったのである。
大体アジアの屋台なんてものは、こんなものである。
欧米人には、その生活の端々を覗いて驚いた。
旅はずっとドミトリーと言われる2段ベッドだけが並ぶ部屋での
共同生活をしていたので、彼らの生活習慣を実によく見ることができた。
僕らを驚かせたのは、彼ら欧米人は宿泊施設に上がると
常に裸足で生活することだった。
僕ら日本人は日本家屋に入るときは靴を脱ぐが
彼らは宿泊施設でもそうだった。もちろんその床は
畳のはずはなく、たいがいはPタイルやクッションフロアである。
日本人なら普通に靴を履いて歩くような場所である。
例えば市役所に行って、その建物内を裸足で歩くのと同じ感覚だ。
そして、なんといっても彼らは裸足のまま共同のトイレに行って
特に足を洗うでもなく、そのまま生活し続けるのだ。
食べ物や調理に関してもちょっとビックリだった。
彼らは例えばフランスパンを裸のままどこにでも置く。
極端な話、駅構内の床に置いているのを見たこともある。
ちょっとだけと言えども、口に入れるものである。
調理するときも、野菜などはまず洗わない。
さらに、どこでも切る。まな板など使わない。
テーブルなどで拭かずに敷かずに肉も切る。
そしてそのナイフも布で拭うだけでしまう。
とにかくどこを見ても不衛生なのである。
日本的に見たら、である。
そんな環境から帰ってくると、なんと衛生的な我が国ニッポンで
北海道で食中毒だ、兵庫で食中毒だとまったく持って不衛生なニュースが流れている。
そこで疑問に思ってしまうのが、なんでこれだけ衛生にうるさい日本で
食中毒騒ぎがこんなに起こるんだろうか?まして冬だ。
「殺菌」「滅菌」「除菌」をスローガンのように日々菌やウィルスと戦っているであろう
日本人はいつも負けだ。
勝手に思うところだが、「滅菌」「殺菌」「除菌」と実は商業広告の罠に嵌って
菌やウィルスを小手先でやっつけては、本来持っている抗力を弱めているだけ
なんじゃないのかと思ってしまうのだ。
何しろ子供の頃から菌に接する機会が少ないんだから抗力なんてできるわけ
ないんじゃないだろうか。
同時に、小手先でやっつけきれない菌やウィルスをより強靭に成長させいて
いるんじゃないかとも思ってしまう。
いくら本人が気を付けていても、学校給食なんかで菌入りの食事を出されると
無防備で弱い抗力の体は一発でやられてしまうんだろう。
人間も自然のひとつなら、菌やウィルスも自然のひとつだから
どこかで決着地点を作らないと、自然破壊と同じで後々とんでもないことに
なるんじゃないかと、無知な僕は心配してしまう。
インドを旅する中、祇園精舎を探して観光客すらいない小さな村を歩いていると
人と犬と牛と鶏が家と家、そして道の垣根なく生活しているのを見て
自然と共存するってこういうことなのかな?と考え込んでしまった。
きっと、菌やウィルスとも共存しているんだと思った。