とにかく食べられるものは食べた。
そのほとんどは、屋台や食堂で地元の人とたちが
普段利用するような店を選んで入って食べた。
なかにはかなりのゲテモノもあり、それでも食べたことのないような
料理や具材があると率先して注文した。
例えば、羊の脳みその煮物(モロッコ)、脾臓バーガー(イタリア)、馬肉サンド(イタリア)、
カブトガニ入りサラダ(タイ)、こうもりの焼き物(タイ)、豚の脳みそスープなど。
やはりいろいろな地域を回って感心するのは、地域の食べ物と酒の合致。
実によくできていると思う。
さらには、山の幸には岩塩、海の幸には海の塩。が合うように感じたのだがどうだろう?
今回の旅で食べ物に関しては色々感じ考えさせられた。
食べ物がどこからくるのか?というのを最近の子供たちは知らない。
肉や野菜は工場で製造されていると思われているのかもしれない。
日本ではほとんど肉はすでにパックされているものが整然とならんでいて
とても生き物とは思えない。
そして肉の塊なんかも、そうそう見ることができない。
ヨーロッパをはじめ中東にしてもアジアにしても
市場や肉屋に行けば、皮を剥がれただけの殺された生き物が
ぶら下がったりしている光景は普通に見受けられた。
これは強烈に生き物イコール食べ物ということを叩き込まれた。
こういった生き物イコール食べ物という目でわかる教育というか
環境って必要なんじゃないかと。
日本では人の出産も死期も、生活の環境下(家)ではなく
病院に行かなきゃ見ることができなくなったが、
「食べ物がどこからくるのか」も、生活環境にはなくなってしまったようだ。
僕はイランのテヘランでのお祭りで生贄になった牛が道端で手足を縛られ
涙を流しながら首を落とされ、さらには皮を剥がされ解体するのを
興味深く見ていた。
皮を剥がされていく時に、今まさにイキモノがタベモノに変わった時だと
それを目撃できたことに少々興奮を覚えた。
食べ物を大切にというお話っぽいのだが、僕はそう感じたのだが
今僕が気になっているのはそういうことではない。
食事と運動に関して疑問が残ったままになっていることがある。
食べ物を大切にする人でも、「カロリー摂りすぎたから運動をする」とか言って
せっかく摂取した食べ物イコールカロリーを消費というか浪費するのってどうなんだろう?
ジョギングしたりしている人を見ると、なんだかなぁと思ってしまう。
それって、ちょっと給料が多かったからどんどんドブに捨てないとね、みたいな。
どうせ後でカロリー消費のための運動をするくらいなら
最初から食べる量を抑えるのが、正しい「食べ物を大切にする」方法かとも思う。
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